英会話における羞恥心

日本人が英会話を習得するうえで一番問題になっていることは何か。学校教育が矢面に立たされているが、僕は単純にそうは思わない。一番問題なのは、話す人自身の羞恥心である。

日本人の中で人前で堂々と英語を英語らしく口に出来る人がどれくらいいるだろう。これは発音が上手いからとか下手だからとかそういう話ではなく、「What is your name?」でも「How are you?」でもいいから、堂々と大きな声で口に出そうとしているかという話である。正直少ないはずだ。以前知人と国際線に乗っていたとき、その知人が「Coffee, please」と言うのを恥ずかしがって「コーヒープリーズ」と日本語の発音でフライトアテンダントにコーヒーを注文したのを覚えている。これは非常に日本人的な羞恥心の表れだとそのとき思った。
その一方で英語を母国語としない他国の人々の様子は違うようだ。

http://d.hatena.ne.jp/rintaromasuda/20060227/1140993395

でもちらっと書いたのだが、欧州人や南米人、中東人、アフリカ人や中国人はとにかく英会話に積極的だ。彼らは文法の間違いを恐れないし、発音にお国柄は出るものの、英語を英語らしく話そうとしている。なにより日本人と違うと痛感させられるのは、彼らは「恥ずかしがっていない」のである。これはとてつもなく大きい差のように感じられた。恥ずかしがる日本人は英会話をする機会をそもそも逃し易いので、単純に考えても他国の人間より上手くならないという結論になる。

羞恥心というものは英会話の問題に関わらず、日本人が文化として持っているものの一つであり、無くしていいものではない。だがインドや中国の経済的繁栄を尻目に、我が日本国の英会話のレベルを向上させたいと本気で考えるのなら避けて通れない課題の一つであることは間違いない。小学校でも英語を教えるか、という議論を定期的に見かけるが、その議論にこの羞恥心問題はおそらく含まれていないだろう。子供時代というのは羞恥心がまだ完成されていないので、上手くコントロールすれば英会話に関する羞恥心を作らせないことも出来るかもしれないが、逆に言えば一生物の羞恥心を醸成する可能性もあることは念頭においてカリキュラムを考えてもらいたい。特にただネイティブスピーカーだからって外国人の先生を招いても、彼らは日本人の子供の特質なんて知らないから、一生物のトラウマを植えつけるような授業をしてしまうかもしれない。そういったことを総合的に考えて、文科省の方々には英会話の問題に取り組んで頂きたいものである。