二十代は模索のときブログ」カテゴリーアーカイブ

魚住昭「特捜検察の闇」

特捜検察の闇 (文春文庫)

特捜検察の闇 (文春文庫)

http://d.hatena.ne.jp/rintaromasuda/20070912/1189549821で紹介した「官僚とメディア」と同じ魚住氏による本書は、この日本で起こっている司法の腐敗を抉り出したもの。相当に読み応えがありました。
著者は本書で語っているように、以前は特捜検察のファンだったという。特捜検察 (岩波新書)という前著は特捜検察の活躍を描いたものであるようだ。しかしその著者が今度は検察、そして司法全体に蔓延る腐敗の構造に光を当てることになった。日本の司法にどんな変化があったのか、そしてこれからどう変わっていくのだろうか。そういったこと深く考えさせられる内容である。
本書は基本的には二人の弁護士、一人はヤメ検(検察を辞めて弁護士に転じた人)の田中森一氏。田中氏は検察時代はピカピカの正義の検事という感じだったというようだが、自己の中に生まれた矛盾を解消できず、弁護士に転じ、その後裏社会の有能弁護士として数々の裏社会の大物との関係を持つに至った。非常に興味深いエピソードである。
もう一人は人権派の弁護士として有名な安田好弘氏である。彼はバブル後の「不良債権回収」という国家の大きな動きの中で生まれた生贄のひとりとなり、検挙され、特捜検察との対決に至っていく。魚住氏が描く安田氏側弁護団と検察の闘いは息を呑むものがあった。
とまあ素人ながら宣伝してみた感じになりましたが、要は非常に面白いのでお薦めです。また今後は陪審員制度などで法律(というか法廷)と関わる機会が我々民間時にも増えてくる訳なので、それに備えた準備としても良いかもしれません。

Twitter使い始めてみた

すげー遅めのスタートになったけど、Twitterを使い始めてみた。本当はアカウントだけは作ってあったんだけど、なんとなく使う気が起きない内に時が過ぎていたが、どうも人気が定着してきたような印象を受けたのでやってみようかと。

http://twitter.com/rintaromasuda

とりあえず今は、有名人を見つけてはfollowしている。どなたでもfollow大歓迎なので、こんな僕でよかったらよろしくお願いします。

ちなみに日本語でどう発音するべきか迷ったんだけど、ネットで見たところ「ついったー」で定着しているようなだが。「とぅうぃったー」ではないんですよね。

自分の置かれている状況を正当化したがるバイアス

江島さんが名エントリをまたひとつ産み出した。二回も読んでしまったぜ。

反対に、学生の頃にネットスケープやサンやアップルの存在でキラキラ輝くイメージをもっていたシリコンバレーへの憧憬みたいなものはどんどん薄れていってて、日本だって十分にデカい市場だし、内需でニッチを見つけてそこでドミナントなポジションを狙っていくというのもかなりハッピーな人生じゃね?というような考え方になってきていた。

特にバブル崩壊後はアメリカもズタズタだったということもあるし、オラクルとかSAPみたいな外資系の大企業向けパッケージも当時からアクビが出るほど退屈なものだったのに、業界地図を塗り替えるようなものが登場する気配はこれっぽっちもなかったので、世の中を動かすには技術によるイノベーションじゃなくてビジネスプロセスの変革のほうが効果あるもんなのかもね、と半ば本気で思うようになっていた。

希望は突然やってくる:Kenn’s Clairvoyance – CNET Japan

とりあえずこのエントリから学べることのひとつとして、まったく本題ではないのだけれど、「人は自分の置かれている立場を正当化するような思考をしてしまう」ということ。物事を考えるときは、そのバイアスをなるべく排除したかたちで考えたいものだ。

白州次郎「プリンシプルのない日本」

プリンシプルのない日本 (新潮文庫)

プリンシプルのない日本 (新潮文庫)

日本国憲法成立に関与したことや、その痛快な人柄で著名な白州次郎氏が文藝春秋に散発的に書いていたと思われる文章をおそらくひとまとめにして書籍という形に纏めたもの。
なるほど言っていることは痛快だし、非常に納得も出来るし好感も持てる。経済の問題に対しても、素人ながら(とご自身で仰っている)本質を突くような発言も多く、戦前と戦後の違いをきちんと認識して、守るべきでない産業はもう守るなといったような強気な発言には惹きつけられるものがある。しかし反面、この人はもし上に立ったとしてもそのような改革(のようなもの)を断行することは出来ないだろうな、と感じた。あまりにも優しすぎる気がするからである。改革の裏側で涙を流す旧来型産業の中でしか生きていけない不器用な民衆を、とてもじゃないが「改革の犠牲となってくれ」とばかりに見捨てることの出来ない人柄であろう。犠牲のまったくない形で物事が進化していけばそれ程嬉しいことはないのだろうが、中々そうできないからこそ、政府や財界や我々一般人も旧来型の物事にしがみついてしまうのだろう。
白洲氏は非常に先見性があったというか、太平洋戦争の勃発やその敗戦について最初から読んでいたというのもあるが、戦後に日本国民そのものに対しても「反省せよ」と促しているところはさすがと思う。軍部や政府に敗戦の責任を押し付けて自分が楽になることを考えず、これからの日本人のために、まずは自分達が反省する。そんな風に考えられる人っていうのは、当時はどれほどいたのであろうか。無論、兵隊に出された人々や戦火から命からがら逃れた人と白洲氏では、見てきたものがかなり違う可能性もあるが。

MacBook導入準備

突然だが、MacBookを購入した。まだStoreで注文したばかりで届いていないのだが、商品到着後の準備として、インストールすべきアプリケーションの情報をまとめたいと思う。MacはOS8時代にはユーザーだったのだが、訳あってしばらくWindowsユーザとなっていた。OS8からいきなりLeopardなのでほぼ新人も同様だと思うが、それでもMacを使うということに関してはある種の懐かしさを覚える。今から楽しみだ。

佐藤優、コウ・ヨンチョル「国家情報戦略」

国家情報戦略 (講談社+α新書)

国家情報戦略 (講談社+α新書)

なるほど、日本はある意味「元インテリジェンス大国」だったということらしい。
本書は日韓インテリジェンス対談である。すっかりおなじみとなった佐藤優氏と、韓国の元情報将校で、不運なめぐり合わせにより国から粛清を受けたコウ・ヨンチョル(チョルにあたる時がUnicodeにしか存在しないのか化けるので、カタカナ表記にて失礼)氏によるもの。二人の話は我々一般人からすると、現実離れしているというか、考えすぎというか、本当にこの世の誰かがそこまで計算して動いているのだろうかと思わせるようなものが多いが、そこまで想定しながら動かなければならないのが彼らの仕事なのだろう。彼らはある意味、既に表舞台に出られる身分なのでまだ良いが、このようなことを想定しながら、日々国民から賞賛される事もないのに、それでも国益の為の信じて活動しているインテリジェンスが世の中にいるかと思うと、少し頭の下がる想いである。それが何処の国の誰であろうと。
さて陸軍中野学校を北朝鮮がよく研究しているという話も面白かったのだが、本書を読んでやはり考えさせられたのが、将来の世界の様相というか、「核のドミノ」の発生と、それに伴った「恐怖の均衡」状態についてである。本書を読んだ感想では、この世界観というのは、もはやインテリジェンスだけが想定しておくべきものではなく、我々一般人レベルでも想定しておかなければならないことではないかと思った。それをきちんと想定しておいた上で、自分の職業や住む場所の選択も考慮に入れることが必要。今ってそういう時代だな。そう思う。

20071109

後悔といものをまったくしない人間である。「後悔をしないようにしよう」と心掛けて毎日を生きているとかそういうことではなく、ただ自然と後悔をしない。そういう人間である。過去にしたことを後悔する前に、新しいことに興味が移ってしまうというのも要因のひとつかもしれない。視点を変えてみると、あまり経験から学べないタイプなのかもしれない。
しかしこんな僕でもひとつだけ、シンプルにすごく後悔していることがある。しかもかなりありきたりな文句なんだけれど、それは「学生時代に勉強しなかったこと」である。「勉強しなかったこと」を後悔しているといっても「もっと勉強しておけば、もっと上の大学に入れたのに」とかそういう後悔をしているわけでもなく、「もっと学校の成績を良くしておけばよかった」とかそういう後悔とも違う。僕が後悔しているのが、あの多くの時間とエネルギーを持て余していた時期に、今自分が持っている様な知的関心を持たずして生きてしまったことを後悔しているのであろう。今現在は、世の中勉強したいこと、身に付けたいこと、知りたいことだらけだと思えるが、当時はそうではなかった。でも当時今の様に色々なことに関心を持っていたら、きっと若い人間特有の集中力でどっぷりに何かに浸かることができたであろう。そういう経験をもっとしておけばよかった、というのが僕がしている一番の後悔である。

梅田望夫「ウェブ時代をゆく」

ウェブ時代をゆく ─いかに働き、いかに学ぶか (ちくま新書)

ウェブ時代をゆく ─いかに働き、いかに学ぶか (ちくま新書)

献本御礼(嘘)
昨日開店から30分くらい経ったオフィスの近くの書店で購入したが、平積みされていた本書の「山の高さ」は随分と低くなっていた。ウェブ進化論の続編という位置づけ売り出しているようなので、当然と言えば当然の注目度なのだろうが、それでも「結構売れているんだな」というのがそのときの正直な感想。今更ながら少し驚いた。
さて内容についてである。全体的な印象について述べさせて頂くと、梅田氏は、使い古された表現ではあるけれど「数人を千歩動かすことより、数万人を一歩動かすこと」に力点を置いているのだろうな、と感じた。例えば野球の指南書に例えるとしたら、この本を読んだ誰かの内の一人が将来イチロー級のプレイヤーになるよりも、この本を読んだ人の多くが「じゃあ明日からキャッチボールでも始めるか」と思ってくれればいい、というような考えでやっている。そう感じた。そして多くの人がそのように軽くウェブに参入してくることで、ウェブ上の集合知も(少なくとも量は)増していくであろうし、マスコラボレーションも促進されていくであろう。彼はそういう世界を狙っている。そんなイメージを受けた。
本書の内容とは直接関係ないのだけど、この本を読んでいて「あるモノ(本書で言えばウェブ)が面白くなっていく為の条件」というものについて少し考えた。矛盾しているようだけれど、あるモノが面白くなる為には、そのあるモノを面白いと思う人がたある程度存在することが条件なのかな、と。例えば何故渋谷が若者にとって刺激的な街になっていったかというと(僕の感覚は古いかもしれないが)、渋谷が面白いと思って集まった若者がいたからであろう。なぜゲームが日本でどんどん進化していったかと言えば、それはゲームを面白いと思う人がたくさんいたからだろう。それと同じように、ウェブが面白くなる為には、もっともっと色々な人がウェブに興味を持ち、ウェブに集まってきてもらう必要がある。そうすることでさらにウェブが面白くなる、そして面白いから人がもっと集まる、そういうサイクルが必要な訳だ。つまるところ、梅田氏が狙っているのはそこだろう。ウェブに向かって万人を一歩踏み出させる。そういう本ですよ、これは。
よって「数人を千歩動かす」の数人に含まれるようなウェブに既に浸かっているタイプの人間にはそんなに面白い本ではないというか、某ブロガーが言っているように既知の話題で埋め尽くされているような印象を受けるかもしれない。
と、いうこと考えた今日は29歳の誕生日。今年一杯でこのブログのタイトルも変更だな。

20071107

IT業界の不人気だという話題がネットを席捲している。IT業界という言葉遣いはそろそろ使うのを止めて欲しいと常々思っているのだが、まあこの辺りの話題で語られる場合はそれがSIerのことだというのは出席者の後日談はてブを見ると既にコンセンサスがとれているようなので、ちょっぴり安心した。そしてもしもSIerが不人気だということが事実だとすると、まあ事実なんだろうけど、人が集まるべきでないところに人が集まらなくなったということで、非常に喜ばしいことなのだろう。ようやく、この間違った産業構造が崩れようとしているという訳だ。崩壊の原因が「採用が困難」ということになるとは思っていなかったけれど。
しかしGoogleのマーケティング力はあなどれないというか、それは無意識にやっているのかもしれないけれど、みんな「Googleみたいな場所で働きたい」と思いはじめたんだなぁ、ということは実感。それって意外と日本のIT産業のためになっているんじゃないかなぁ、と思う今日この頃。あ、IT産業って言葉使っちゃった。

ひろゆき「2ちゃんねるはなぜ潰れないのか?」

2ちゃんねるはなぜ潰れないのか? (扶桑社新書)

2ちゃんねるはなぜ潰れないのか? (扶桑社新書)

非常に正直な人物だというのが印象に残った。正直というとクリーンな言葉過ぎるかもれないが、まず現状をなるべくあるがままに、つまり自分のプライドだったりとか希望的観測だったりとかをなるべく排除した形で捉えようとしている人間という印象。そして自分の思っていることをなるべく飾らずにアウトプットしようという姿勢を持った人間ではないかという印象。この2つを持って、正直な人だな、というのが僕のひろゆき氏に対する印象。
でWEBの未来がどうとかこうとかという話にはまあ参加する気はないのだけれど、WEBは確かに便利になった。産業革命とか当たり前だけど経験していないが、僕らが情報革命で感じたくらいの生活の利便性の向上をあの時代に生きた人間は実感しただろうか。別に移動しながら電話できたり、家で本が買えたり、電車に乗るときにもはや切符が必要なくなったとしても人間の本質なんてそう変わるもんじゃなかろうし、それらの技術で皆が生産的な人間に変わることなんてありえないだろうし、技術的にも大きな革新があるわけではなく、まあ日々研究者やエンジニアの方々が既に「理論的に可能だ」と考えつくされていることを出来るだけ正確に、早く、安定した形で我々に商品という形で提供しようと頑張ってくれている、そういう状態だろう。
しかし、

そもそも世の中には「これが正解」なんてものはないことを考えれば、さまざまなベクトルを持った人たちの意見を幅広く吸収することは大切。その意味では、梅田氏の「ウェブ進化論」を読んだ人は、バランスをとるためにもぜひともこの本は読むべきだろう。「ウェブ進化論」は今ネットの世界で何が起こっているのか良く分からない人には良い薬だが、良薬の常でそれなりの副作用もある。その意味では、この「2ちゃんねるはなぜ潰れないか?」は「ウェブ進化論」の副作用の解毒剤としては最適ではないだろうか、というのが今日の結論である。

Life is beautiful: 「2ちゃんねるはなぜ潰れないのか?」は「ウェブ進化論」の格好の解毒剤!?

と中嶋氏なんかも仰られているけど、ウェブ進化論ってそんなに理想手主義的に過ぎる本だったのかなぁ。あまりそういう印象を受けなかった僕は理想主義的に過ぎるのだろうか。あの本では特に具体的に「将来WEBでこれが実現される、あれも実現される」とか書いていなかったから、あまり世の中で言われている程のWEB至上主義的なイメージを持っていないのだが。それだったら、空飛ぶクリーンな自動車を想像している方がよっぽど理想主義的な気がしてしまうのだが。