二十代は模索のときブログ」カテゴリーアーカイブ

我慢には+の我慢と-の我慢の二種類がある

別にどうという理由は無いけど書いておきたくなった話。

我慢には+の我慢と-の我慢の二種類がある。今自分の快楽レベルが通常状態にあるとして、何らかの快楽を得たくなったとする。これを我慢するのが+の我慢。「もっと高価な物が欲しいけど、我慢しなきゃ」みたいな我慢は+の我慢だ。
一方、今自分の快楽のレベルが通常より下にあったとする。この状態を我慢しなければならないのは-の我慢だ。例えば「夫のいびきがうるさ過ぎて毎晩眠れないけど、我慢してます」みたいな我慢は-の我慢だ。
非喫煙者の我慢と喫煙者の我慢を比較して議論しているのを見かけることがある。「喫煙者が我慢するか、非喫煙者が我慢するか」という様な話題が典型的だが、この+の我慢と-の我慢の違いを考慮して議論した方がいいのではないか、と個人的には思う。
ちなみに結婚生活では、+の我慢は考慮すべきであるが、-の我慢はしなくて済む様にお互い話し合う必要があるのではないだろうか。

梅田望夫、茂木健一郎「フューチャリスト宣言」

フューチャリスト宣言 (ちくま新書)

フューチャリスト宣言 (ちくま新書)

飛行機の中で一時間ほど書けて読んだ。通常新書には一時間もかけないのだが、結果的にこの本を読むのには一時間ほどかかった。途中途中で奥さんに読書を遮られたという理由もあるが。
さて細部に関する感想を書こうかと思っていたけれど、バケーションに出発する飛行機の中で読んだものだから、今細部が頭に入っていない。「何処が面白かった?」といきなり問われたら、多分「最後の中学生への講義の部分」とかしか言えない状態である。いや、本当にそこが面白かったのだけれど。
という訳で細部を覚えていないので、ちょっと楽観とか悲観とかそういうことについて書いてみたいと思う。というのも、非常に楽観(オプティミズムとペシミズムではなく、楽観、悲観という言葉を使う)に包まれていた書籍だと感じたからだ。そしてその楽観に関する非難が少なからずあるようなので、それについての僕の意見を書いてみたいと思う。あまり長くは書かないけれど。

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バケーションから帰ってくるときの恐怖

バケーションから昨日返って来た。青い海と青い空、暖かい気候があれば何をしてても本当に楽しい。戻ってくると、やっぱり日本は日光の少ない地域であるということを実感する。特に今は梅雨(もう入っているのかな)だし。
さて、バケーションから復帰するときには独特の恐怖感がある。これはあくまで個人的には、ということだが。

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汎用的なマネジメントメソッド

先日勤め先でマネジメント研修なるものを受講する機会があった。講師はあるベストセラーの著者であり、今はその本に書いてある内容をコンサルタントすることを生業にしているようだが、以前はアメリカで起業し、その企業を売却するところまで持っていったことがあるそうな。
予想通りと言えば予想通りだし、当たり前と言えば当たり前のことだが、あの手の汎用的なマネジメントのメソッドなどというものは、あまりにも抽象化されすぎていて何の役にも立たないのではないかという感想を持った。「何も役に立たない」という意見が少し強すぎるのなら、「役に立つけれど、わざわざ言われるまでのことではない」という意見にしておく。

新しい脳には誰がなれば良いのだろうか

これに対して「金利を無理に下げたら資金供給が減る」というのは、経済学ではきわめて初等的な理論だが、「新しい脳」に属す論理的推論を必要とし、多くの人にはそういう機能は発達していない。話し言葉がだれでも使えるようになるのに、書き言葉が教育を必要とするように、経済学の非直感的な理論は、人々の自然な感情にさからうのだ、とPaul Rubinは指摘している。

http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/8b5c071403ce1ab76cdd6e63860ea95b

僭越ながらこのPaul Rubin氏の指摘は、以前に僕が書いたエントリと同内容だろうと思われる(勿論レベルは圧倒的に違うだろうが)。

論理的に考えれば正しくても、感情的に(あるいは本能的に)受け入れがたいこと、ってのが世の中にはあると思う。例えば定率減税廃止、これに着目してみる。定率減税は廃止されるのに、高額所得者(3000万円以上だそう)に対する減税措置と、法人税に対する減税措置が廃止されないことに非難の声が挙がっている。「貧乏人からばっかり金とってどうすんだっ!金持ちから搾り取りやがれっ!」とついつい感情的になってしまいがちな話題だ。僕も例外ではない。

http://d.hatena.ne.jp/rintaromasuda/20060403/1144014802

みのもんた、つまりマスコミが我々の「古い脳」を代表する存在であるとして、我々の「新しい脳」を代表する存在には誰がなれば良いのだろう。よく分からないが、ひとつ肌で感じて分かるのが、日本という国は段々「古い脳」が支配する国に近づいてきているのではないかということ。これはテクノロジーの進化による変化だと思うし、この現状を変えるのもまた新しいテクノロジーではないかと思う。少なくともインターネットは、テレビよりは「新しい脳」側のテクノロジーではないだろうか。これは希望的憶測かも。

最近読んだ本

本の運命 (文春文庫)

本の運命 (文春文庫)

考えてみれば本の運命は数奇なものかもしれない。著者の井上氏は以前自分が所有していた本に古本屋で再会したとそうだ。子供の頃「お札にこっそり名前をかいておいて、いつかそのお札と再会できるだろうか」と夢想していたことがあったのを思い出した。13万冊もの蔵書を抱えていた著者だからこそ、それぞれの本に自分との運命を感じずにはいられないのだろう。「本を売らない」という決心を僕もしてみたいものだが、スペースの問題で中々難しそうだ。

特捜検察vs.金融権力

特捜検察vs.金融権力

スリリング。特に第1部のスリルはかなりのものだと思う。蜜月だった時代から大蔵官僚の摘発にいたるまでの特捜部の動きの変化は非常に興味深い。僕の頭の中に漠然と染み付いている数々の思想は、こういった日本の中枢にいる人達の「成果」なのかと思うと不思議である。例えば「大蔵省とノーパンしゃぶしゃぶ」なんて言葉が世間を飛び交っていたとき、僕はほんの子供だったはずだが、しっかりと頭に刻み込まれている。佐川急便事件やリクルート事件にしても同様だ。
しかしこういう本を読んでいると、日本の最高権力というのはどこにあるのかといつも悩んでしまう。勿論権力は分散されているのは百も承知だが、どこかに最高権力者が存在するのではと分かり易い構造を求めてしまう。それは首相かもしれないし、マスコミかもしれないし、世論とか世間という僕も含まれているはずの曖昧な存在なのかもしれない。

「それ知ってます」でも別に構わない

先輩が説明をしだした直後に「それ知ってます」「それ習いました」「授業でやりますよ」などは禁句です。多くの技術者は、相手のレベルを知らないと前提から順を追って説明していきます。その先の先の先ぐらいには自分が知らない内容が隠れているかもしれません。また、説明の腰を折られてしまうので説明をする方としては気分が良いものではありません。

技術の盗み方:Geekなぺーじ

確かに先輩のせっかくの説明を切り捨てるような「それ知ってますよ」は止めといた方が無難だと思う。気を悪くさせてもお互いに得はない。こういうこと言ってしまう原因は大抵「そのくらい知っている」という見栄と小さなプライドであることを意識しておけば、とりあえずそういう失言はしなくなるだろう。
しかし個人的な経験から言わせてもらうと、誰かに話を聞かされて何かの技術について分かったという様な経験はあまりない。

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目の前にある技術的なチャレンジ

技術的なチャレンジをしたいと思っている。そう思わなかったらエンジニアとしては終わりだと思う。技術的なチャレンジをしたくないと答える人間はそんなにいないのではないかと思う。
しかし、技術的なチャレンジをいざ目の前にすると恐怖を感じる。言いようの無い不安感を覚える。今までの方法で別に構わないんじゃないかとエクスキューズを探し始める。これは誰にも共通する感覚ではないだろうが、少なくとも僕はいつもそう感じてしまう。
この感覚に毎度打ち勝っていけば、自分は良いエンジニアに近づいていけるのではと思う。たとえその仕事は失敗したとしても近づけると思う。しかし例え70点の仕事が出来たとしても、自分の引き出しの中身だけでやりくりしたりを続けていれば、いずれ腐ったエンジニアになってしまうと思う。
昔大好きだったRadioheadの曲、My iron lungの歌詞を思い出した。

If you are frightened, you can be frightened. you can be, it’s OK.

「もし恐いんだったら、恐がったっていいんだよ」
まさしくその通りだと思う。チャレンジとは常に恐怖を伴うものである。

ソースコードのあるエントリの移動

最近めっきり書いていないが、今後はソースコードを書く必要があるようなエントリはhttp://d.hatena.ne.jp/tostudycsというもうひとつのブログに書いていこうと思う。ひとつの場所に纏まっているメリットも捨てがたいが、こちらのブログのデザインは気に入っているものの、ソースコードを書くのにあまり適していないことを勘案しての決断。
これからはもう少し技術的な話題に力を入れていきたいので、もうひとつのブログの更新が増えるようにしたいと思う。

シアトル、四歳の誕生日おめでとう

本日で愛犬のシアトルが四歳になりました。もうすっかり大人になったけど、ときどき幼い時を思わせる表情も見せる。相変わらず可愛いやつです。ドッグイヤーは人の七倍だという話を聞いたことがあるが、そうすると僕とシアトルは現在同じ28歳ということになり、奥さんも28歳なので、家族揃って同い年という訳だ。なんか今年は良い年になりそう。

シアトル、おめでとう。