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コミュニケーション能力に関する昔のエントリ

http://d.hatena.ne.jp/rintaromasuda/20070601/1180649356という以前書いたエントリだが、今でもちょくちょくとはてなブックマークを付けて頂く事がある。これは結構めずらしいケースの様に思う。大抵はてブはエントリを上げてから1日ないし2日くらい経つともう付かない。このエントリはありがたい事に今までで一番ブックマークして頂いたエントリだが、珍しい売り上げ(?)曲線を見せてくれているという点でも興味深いエントリとなった。推移はこちらで図でも確認できます。

Appleという王制国家

もしも絶対権力者である王が類い稀なる人格、能力、知見、その他の持ち主であれば、民主主義国家よりも王制国家の方が非常に効率的に物事が進むはずだから、素晴らしい国家が出来上がるのではないかと妄想したことが何度かある。その国では法案が無意味に行ったり来たりするこもなく、中途半端な折衷案も生まれない。時代遅れな法律を破棄する為に何年もかかることもないし、時代に即した取り組みを始めたと思ったら、もうその時代は終わっていたなんてこともない。ある人物や組織の面子を保つが為に不必要な予算が振り分けられる事もない。前述したように絶対権力者の能力が高いことが前提だけど、素晴らしい国家になるんじゃなかろうか。
正直に言ってあまり政治にも行政にも強い興味はないし、上記のような妄想をいつもしている危険人物でもないのだけれど、Appleにおいて如何にジョブズの変質的とも言える拘りが実際の製品に反映されているか、という話を聞いている内に「Appleは自分が妄想していた王制国家に近いのではなかろうか」ということを考え始めた。iPodやiPhoneも王制国家のAppleだからこそ作り出す事が出来たのではないかと想像している内に、まるでそれらの製品が古代の王国が作り上げた偉大な建造物、例えばピラミッドや欧州の美しい城のように思えてきた。
製品作りにおける正解というのは常にユーザーであるから、僕の妄想の中の類い稀なる王様のように高い能力の持ち主で、ユーザーの求めるものをビシバシと当てていくことが出来る人間がいるとすれば、その人の考えを追いかけるというプロセスが一番正しいプロセスということになると思う。ただしこれは非常に難しい。少なくとも普通に運営されている会社では難しいと思う。例えばiPodは美しいフォルムを優先させるため、バッテリーの交換が自分で出来ない作りになっている。もしデザイナーから「美しさを追求するため、バッテリー交換用の蓋を取り除きたい」という提案がなされたとき、その意思を製品に反映するところまで持っていける企業が果たしてどのくらいあるだろうか。僕のまだ短い社会人経験の中で想像してみても、例えばサポート部門、ケースを製造する部門といった組織が強い発言力を持っていたりすると「それではサポート部門の負担が大きく増すので駄目だ」であるとか「我々の開発したバッテリー交換部の部品にケチをつける気か」とか本来の製品作りとは関係のない部分で反感が生まれたりして、結果として計画が頓挫してしまったりだとか、折衷案によるツギハギ製品が生み出されたりだとかしてしまうと思う。iPhone(持ってないけど)においてばっさりとカメラの画質等が削られているという点についても同様である。「じゃあ○○部門の意見も取り入れてこの製品の△△はこうしよう」というような意思決定(適切か分からないが、民主主義的と呼ぶことにする)がなされている企業において、iPodやiPhoneのようなある意味「割り切った」製品を作り上げるというのは非常に難しいことであると考える。
しかし僕の想像の中では王制国家であるAppleではこれが可能である。どの部門も王の意思を実現する事を優先して動いている。王がバッテリー交換できなくても構わないから美しくしろと言っているんだからそうなんだし、カメラの画質を削ってコストを押さえろと言っているんだからそうするのであろう。対立がないわけではないだろうが、部門間の対立というよりは部門と王が対立するという事があるのかもしれない。各部門において王は共通の第一優先事項であり、ある意味共通の敵でもあるのかもしれない。Appleが大好きだけれども、別にAppleだったら何でも凄いとか言うつもりはない。おそらくAppleがもの凄く苦手とするような状況も多くあるのだろうと思う(一度は沈んだ企業な訳だし)。しかし製品を作る現場にいる人間として、上述したような「折衷案によるツギハギ製品」が自社から生まれないように努力はしたいと思っているし、Appleを多いに参考にしたいとも思う。

スティーブ・ジョブズ-偶像復活

スティーブ・ジョブズ-偶像復活

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次世代IT産業論考(浜口友一)

テクノロジー : 日経電子版
たまたま目を通してみたが、かなりまともな事が書いてあってビックリ。こういう考え方を持っている人がNTTデータみたいな大きなSIerに取締役として存在するのであれば、日本のシステム屋さんの将来もそう暗いものではないかもしれない。

大企業が仕組みを提供し、個人が創造性を発揮する世の中

家のMacbookにWindows Vistaを入れてみたついでに、Visual C# 2005 Express EditionXNA Game Studio 2.0をインストールし、ヘルプに付いてくる簡単なチュートリアルに従って3Dアニメーションを作ってみたが、これに驚いた。3Dアニメーションなんて一部の専門家が作成し、我々はそれを楽しむ立場にしかないと思っていたのだが、既に我々自体がクリエイターになる時代になっていたようだ。時代に遅れていたことを痛感する。
しかしこのXNAを通して本当に学んだことは大企業はその資本を生かして仕組みを提供するのが役割で、個人はその仕組みの上で創造性を発揮するのが役割という今の世の中の仕組みである。当然こんなことは何年も前にどこかで誰かが提唱していただろうし、どっかで聞いた事はあったけれど改めて実感。ちょっと前までは仕組みの提供からコンテンツの提供までの大資本が行っていたはずだったと思う。僕がファミコンをやっていた小学生時代は間違いなくそうだったはずだ。けれど今は、実に様々な分野でコンテンツが個人、もしくは小規模な集団から生まれるようになってきている。その波が3Dにまで来ていたということだ。
で、これからの若いエンジニアが自分の進路を考えてみる上でちょっと考慮に入れるといいんじゃないかと思ったのが、一体自分はどちら側に属するのがハッピーなのかということ。大きな企業や組織に属し、大きな技術的枠組みや仕様の策定を行っていくのがハッピーなのか、与えられた仕組みを利用して創造性を発揮する、具体的に言えばコンテンツを提供する立場に属するのがハッピーなのか。それともその間くらいの仕事、例えばより小さな枠組みを提供する立場に属するのがハッピーなのか、そんな視点ももってみてはいかがだろうか。
なおこちらでXNAのビデオチュートリアルを見る事も可能。こちらはXNA1.0を前提にしたチュートリアルなので若干ソースコード上の違いがあるが、XNAでどんな仕組みが提供されているのかを理解するには十分な内容だと思う。興味がある方はちらっと見てみて下さい。

まだまだソフトウェア技術者の活躍は終わらない

活躍の場所をクライアントPCからネット、そして今度はモバイルへと移し、まだまだソフトウェアエンジニアの活躍は終わらない。

米アップルは6日、携帯電話「iフォン」向け応用ソフトの開発促進策を発表した。6月までに開発に必要な技術を外部の技術者に無償公開し、開発したソフトを同社運営のサイトでiフォン利用者に販売する。タッチパネル操作などを生かすゲームや業務ソフトが開発される見込みだ。

日本経済新聞

モバイル分野はこれから相当エキサイティングだろうなぁ。才能ある若者はどんどんこういう所に飛び込んでもらいたいものだ。

迫りくる危機を従業員に伝えた方がいいのか

以下の二つの記事を読んで考え込んでしまったのが、もし自分が経営者だとして、従業員に今迫りくる危機を伝えるか、それともそれは隠しておいて「当社の事業はまだまだいけるぜ」という姿勢で行くのかどちらが良いのだろうかということ。
http://d.hatena.ne.jp/rintaromasuda/20080301/1204388898
http://d.hatena.ne.jp/rintaromasuda/20080222/1203631378
もちろん従業員も馬鹿ではないだろうから、それぞれに自分の会社の危機については調べてくるだろう。が、それを経営側から発表するというのは従業員にとって意味が違ってくる。もしその危機の説明に説得力があるとした場合、ロイヤルティーの高い企業だったら社員が一丸となってくれる可能性があるが、低い企業の場合だったら社員が逃げ出す可能性がある。要は会社の状況次第なのだろうか。個人的には自分が従業員だったら教えて欲しいと考えるし、どんな状況であっても経営者だったら危機を従業員に素直に伝えたいと思う。

開発者でも営業の視点は忘れるな

僕は開発者だから以下の二つのエントリの主張は分かる。RSSもソーシャルブックマークもヘビーユーザーだ。

フツーの人の気持ち・感情を理解するのは、ネットにどっぷりはまってる人ほど難しそう

今までならともかく、これからは「技術者が作るサービス」はますますエンドユーザーから遠く離れたものになるかもしれない。

そんな予感がする。

http://d.hatena.ne.jp/core/20080219/1203426866

これはよくわかる。というか、私もRSSリーダーやソーシャルブックマークを回りに勧めて、誰も使わないので???となっている口だ。

購読フィード数1000以下の人間を「フツー」と呼ぶのはもうやめよう – アンカテ

ただこれらのエントリを読んで、基本だけど開発者が忘れがちな事実を今一度確認したいと思った。それは
良いものだからといって、それが放っておいても売れるなんてことはない
という事実だ。
今までに効果的にRSSリーダーの営業をした企業がどこかにあっただろうか?マーケティングを行い、RSSリーダーの普及を試みた企業がいただろうか?おそらくないだろう。であれば、普及しないのは通常当たり前である。
あとid:essaさんが「回りに勧めて」と仰っているのが、それは実際にはどのように勧めたのだろうか。もし営業さんがRSSリーダーを売り込むのであれば、

  • 対象(勧められる人)の為にアカウントを作る手ほどきをしてあげて
  • 対象の趣味に合いそうなニュースサイトやブログを見つけてあげて
  • 実際に使い方を見せてあげて
  • 新聞よりもこっちの方が便利じゃないですか、と考えさせてあげて
  • しばらくアフターフォローしてあげて

とでもするだろう(これはBtoB的な営業手法だけれど)。この営業手法が正しいか分からないけれど、とにかく人というのは「こんないいものあるよ」で物が売れる(RSSリーダーは無料ですが)ほど甘い対象ではないのである。
iPod、ウォークマン、プリウス、プレステ、WillとかMacとか。技術的にとかデザイン的にとかそういった部分で優れているものは多いけれど、それが普及する為には営業というが媒体が間に入る必要があるのだ。Googleとかが勝手に広まっていったのはまあ例外だと思う。
技術とマーケティングが高いレベルで融合した事例は、例えば以下の本なんかで読む事が出来ます。

マツダはなぜ、よみがえったのか?

マツダはなぜ、よみがえったのか?

今さらアルバイト経験から得たものを纏めてみる

そう言えば就職活動の時期だな、と思って何かそれ関係のエントリを書いてみたいと思ったのだが、就職活動でありがちだと思われるアルバイト経験から得たものというような内容を書いてみたいと思った。まあ結局就職活動をしている段階ではそんなの志望動機の単なる正当化だったりする訳だが、いまさら社会人の僕がアルバイト経験から得たものを振り返ることは、意外と就職活動中の学生に役立つかもしれないな、と微妙に先輩風を吹かせてみたいと思った。
さて、僕は大学生のほぼ四年間にワインを主とする店でウエイターをやっていたのだけれど、あの経験は何に活きているんだろう。明らかにボルドーワインとブルゴーニュワインの特徴の違いに関する知識だとか、トスカーナの赤ワインにはトマトソースパスタを合わせるのが定石だとか、青やら白やらのカビチーズを食べてみたいけれど、あんまりクセの強いのが嫌よという人には何チーズを薦めればいいのかとかそういった直接的な知識が現在役に立っているということはない。だが、こういった知識が何はともあれ会話や議論の源泉になるんだな、というか、議論や会話を進めていくときに、それに関連する知識が役に立つんだ、ということは何となくあの頃覚えた気がする。あと、知識がある種の信頼を生むというのもそうやって覚えたのかも。ワイン関連の知識がソフトウェア関連の知識に変わりはしたものの、今でも知識について同じ認識を持ってはいる。
あと、人が望んでいるであろうものを察知して、先回りして提供する喜び。あれはバイト時代に覚えたなあと今になって思う。例えば水を今まさに頼もうかってお客さんに水を提供したとき。そのときのお客さんの驚きと喜ぶ姿。あのときはひとつのゲームのようにそんなことを狙っていたけれど、例えばこれと同じことを同僚や上司にしてやろうって心掛けはなんかビジネス書にでも載ってそうな話題。それってなんか秘書っぽい仕事だねとイメージされたかもしれないが、例えば開発にしたって「こんなライブラリが欲しいけどな」→「そう言うと思って実装しておいたよ」みたいな仕事ってかなり評価の高いものになると思う。そんな楽しさもあの頃知ったのかもしれない。きっとそう思う。
あと僕は四年間近くもその店に居座っていたので、一店舗に必ず一人はいる社員みたいなアルバイトになっていた。だもんで結構指揮を執ることも多かった。そういう経験を経てリーダーシップを得ました、みたいな意見を言うのは容易いことだが、もう少し掘り下げてみると結局、人はアルバイトの様にしか扱わなければアルバイトくらいの働きしかしないし、アルバイト以上の扱いを心掛ければ期待以上に働いてくれる、ということを学んだ気がしている。これも形は違えど、いま僕が心掛けていることに非常に近い思想。自分が仕事を任される側としては、僕は店では相当信頼を受けていたので、それはバイトに任せちゃいけないでしょ、っていうよな仕事も結構やっていた。僕は喜んでそれをこなした。でもときにバイトだから立ち入れない仕事もあった。僕はそれに積極的に介入しようとは思わなかった。後輩に仕事を任せる場面でもそうだった。バイトだからとか新人だからとかそういう扱いをされている社員は結局ずっと受身のままの仕事態勢だった。丁度良い規模の責任を新人に与えてあげると、彼らは積極的にそれをこなそうとした。結果そういうバイトの責任範囲はどんどん広がっていった。まあ人ってそういうところあるじゃないですか。どうでしょう。
敢えてこのエントリに結論は出さない。誰かにとって何かしらの役に立つといいけど。

プログラマは腰を守る為に知恵を絞るべし

プログラマは座りっぱなしの職業だから、座る椅子に拘った方がいいのは勿論として、やっぱり腰を守る為に筋肉は鍛えることも考えておくべき。僕自身一度腰を痛めてしまったことの反省もあって、腰回りの筋肉、つまり腹筋とか背筋とか臀部とか太腿あたりの筋力は落とさないように日々意識している。あと座る姿勢、これも重要。どのように筋力を維持するか、どのような姿勢が腰に良いのかは日々模索中。その内ここに研究成果を書くかもしれない。
体が病んでは良い仕事は出来ず。日々これを忘れないようにしたい。

日本とソフトウェア技術者

語り尽くされた内容だけれど、最近はほんとに「なぜ日本から強いソフトウェア企業もといソフトウェアが生まれてこないのか」という疑問が頭を巡る。またこの日本でソフトウェア開発を生業にしていく機会の少なさにも真剣に悩む。もはや優秀な技術者は英語を学ぶ事が必須だと僕が考えるのは、その優秀な技術を活かす立場に自分をおくためには外資に入るか、または外国に飛び出さなければならないからなのだ。日本に良い機会がまったくないと言うつもりはない。ただ極端に少ないのだ。ましてや平均以上の収入を、他の職種より良い収入を得たいと思えば、さらに機会は限られる。
いつか日本にも大きな可能性を持ったソフトウェア企業やネット企業が生まれるのだろうか。どうなのだろう。家庭用ゲームはもともと日本が強いはずだし、もともと気遣いの細かいソフトウェア向きの人種だと僕は思っているし、何かのピースが日本にぴったりと嵌れば、きっと大きな機会が若い技術者達に開かれると思うのだが。これは希望的観測なのだろうか。