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自分の置かれている状況を正当化したがるバイアス

江島さんが名エントリをまたひとつ産み出した。二回も読んでしまったぜ。

反対に、学生の頃にネットスケープやサンやアップルの存在でキラキラ輝くイメージをもっていたシリコンバレーへの憧憬みたいなものはどんどん薄れていってて、日本だって十分にデカい市場だし、内需でニッチを見つけてそこでドミナントなポジションを狙っていくというのもかなりハッピーな人生じゃね?というような考え方になってきていた。

特にバブル崩壊後はアメリカもズタズタだったということもあるし、オラクルとかSAPみたいな外資系の大企業向けパッケージも当時からアクビが出るほど退屈なものだったのに、業界地図を塗り替えるようなものが登場する気配はこれっぽっちもなかったので、世の中を動かすには技術によるイノベーションじゃなくてビジネスプロセスの変革のほうが効果あるもんなのかもね、と半ば本気で思うようになっていた。

希望は突然やってくる:Kenn’s Clairvoyance – CNET Japan

とりあえずこのエントリから学べることのひとつとして、まったく本題ではないのだけれど、「人は自分の置かれている立場を正当化するような思考をしてしまう」ということ。物事を考えるときは、そのバイアスをなるべく排除したかたちで考えたいものだ。

沢尻エリカさんに見るニッチ戦略

最近の一連の沢尻エリカさん報道にはまるで興味はないのだが、もしあれ(彼女の一連の言動)が彼女の(または彼女の事務所の)ニッチ戦略であるとすれば面白いな、とちょっと考えた。
僕の記憶しているところの彼女は「パッチギ!」に出演していたときの所謂清純系のキャラだったのだれど、あのまま清純系を続けていくとなると、例えば長澤まさみさん、新垣結衣さん、堀北真希さん等(あまり詳しくないので、彼女らのポジショニングが適切でないかも)の錚々たる正統派アイドル女優達と真正面からぶつかることになったであろう。彼女達の人気の優劣はよく知らないけれど、まあその中で生き残っていくのは中々大変そうであることは素人目にも分かるというものだ。
だが今沢尻さんが築こうとしているポジション、それは偶然かもしれないが非常にニッチなポジションであるように思える。あくまで僕の意見だけれど、競争の激しい正統派アイドル女優の中で何番手に着いているよりは、多少需要が無いかもしれないけれど、ちょっと反発してて悪っぽいという同年代や年下の同姓から受けそうな彼女の今のキャラは、ビジネス的に言って「あり」なんじゃないかな、と思った。
自分の仕事を考える上での、ニッチという概念は常に頭に置いておきたい。

日本の企業は体育会系が支配する

となんとなく思った。100%そうだとか言うつもりもないし、「体育会系って何やねん」と定義を求められても答えられなかったりするのだが、アカデミックな雰囲気よりも、体育会系のノリが会社の空気を支配しがちなんじゃないかな、と思っています。

今すぐやろう

社会人になって学んだことのひとつに「お前のやりたい事は、今ある問題を片付けたらやらせてやる」という約束は信じるな、というのがある。

僕は別に約束した相手が嘘をついているとか、上司なんか信用するなとかそういうことが言いたい訳ではない。ただ「今ある問題」というのが非常に大きくて時間がかかるものであるとしたら、それを解決した頃に状況が変わっていないなんて誰が約束できるだろうか。新に解決しなければならない問題は起きていないだろうか。周りのメンバーはまだ存在しているであろうか。そういう「変化」まで約束できる人なんていない、そういうことが言いたい。
社会人になって間もない方には特に声を大にして言いたいが「いつかその内に」という「いつか」は来ない。「いつかこうこうこういう事がやりたいけれど、今はこれをやれと言われている。(長いことかかるけれど)これが終われば自分のしたいことが出来るだろう」なんていう考えは達成されない、もしくは達成されたら物凄く幸運なのだ。
やりたいこと、やるべきだと思っていることがあるなら今すぐやろう。目先のこともこなしながら達成できるほど、あなたのやりたいことが小さいのでなければ、目先のことも捨てよう。労働人生なんて40年くらいしかないんだから。

40歳、50歳のプログラマ

米国には40歳、50歳のプログラマが結構いるという。彼らが社会的にどの様に扱いを受けているのか分からないけれど、僕の個人的な感覚からすれば高齢のプログラマが存在することは自然というか、むしろ相当に年季が入った人達であろうと尊敬を覚えてしまう。まったくもって肉体労働ではないし、むしろ多くの専門知識と経験が要求される職業なのであるとすれば、そのくらいの年齢になるまでやっていないと一流とは言えないのではなかろうか。40歳、50歳の料理人や職人なんてのはごろごろ日本にだっているだろうし、プログラマもまあ同じようなもんだと思っている。
しかし日本で40歳のプログラマというと大抵「え、40にもなってまだコーディングしてんの?」的な侮蔑の混じったリアクションを受けてしまうのではないだろうか。アメリカの40歳のプログラマがある程度の尊敬を受けているとするならば、この差は一体なんだろうと考えてしまうのだが、こういうリアクションをしてくる人は大抵プログラマじゃない、もしくはプログラムを少し触ったことがある程度のであることから、彼らの頭の中にはもう「プログラム=ビジネスロジックを組む=誰にでも出来る」という固いロジックが出来上がってしまっているのであろうと推測する。そして決まって「いつまでもコーディングなんかしていないで、マネージングとかしていかなきゃ」という結論を彼らは持ち出す*1
彼らは本当に自分の頭で考えた結論を述べているのであろうか。疑問に思う。確かに社会全体はそういう雰囲気だと思う。でもただそれに流された意見を述べていないであろうか。例えば料理人や大工も自分の技をいつまでも極めていては駄目で、他の料理人や大工のマネージメントの道に進むべきなのであろうか。スポーツ選手に体の衰えがなかったとしても、コーチや監督業に進むべきなのであろうか。普通そうは思わないだろう。むしろマネージメントに進もうと画策している料理人の料理なんか食べたくない、って僕は思ってしまうけれど。
、とここまで書いてて思ったけれど、「プログラムは誰にでも書ける」というロジックと共に「プログラムは実は肉体労働」的な考えも彼らにはあるという気がしてきた。もしそれが本当だとすれば、年と共にプログラムをすることは難しくなるだろう。ただ僕の意見では、プログラムというはこれでもかというくらいの知識労働である。そのプログラムを肉体労働化してしまっているものは、ソフトウェアがどうだとか技術的にどうだとかいう話よりも、むしろビジネス上の問題というか、人間系の問題だろう。
「プログラムなんてこんなもんだろう」的な結論に辿り着こうとしているそこの貴方、まずはStructure and Interpretation of Computer Programs (MIT Electrical Engineering and Computer Science)でも読んでみませんか。

*1:個人的には、プログラマのマネージメントはプログラムを書いている人にしか出来ないと思う。

Not Rich But Fat

デスクトップアプリケーションは死んだ – Kentaro Kuribayashi’s blog
違う、我々が欲しいのは電源をONにした瞬間起動するマシンだ。

仕事柄デスクトップアプリケーションを作る機会も多いのだが、AJAXをはじめとする最近のWEBアプリケーションのユーザビリティの進化を見ていると、デスクトップアプリケーションは「重いけどリッチじゃない」という存在になってきている気がする。最近WEBじゃインクリメンタルサーチとかGoogleサジェストみたいな機能って当たり前になってきているけど、デスクトップアプリケーションではその辺の機能はあまり見ないというか、少なくとも僕が仕事で扱っているエンタープライズ分野のUIは非常に貧弱だ。もともとブラウザは「Not Rich But Thin」という存在だったはずなのに、いつのまにやらデスクトップアプリケーションは優位であったはずのリッチさでもブラウザベースのWEBアプリに負けようとしているようだ。

プログラマに必要なもの

プログラマに必要だと僕が考えるもの。三大美徳とか色々あるけれど、僕自身の言葉で語ると以下の様な感じ。

  1. 偏執的なほどの美意識
  2. 高い高い集中力
  3. 動作の仕組みやトラブルの原因を追い続ける執拗さ

日本人らしく三要素にまとめてみましたが、皆さんだったらどうですか?

Coolなモノを産み出す企業

つまり言いたいのは、部下からのレポートや数字をみて判断してるだけのトップがやってる企業には、こういうイノベーションは金輪際ムリだよね、ということです。自社製品に惚れて使い倒して、その面白さの本質に触れてない限り、カタログスペックに載ってこないようなユーザビリティの部分での勝負なんか、決断できるわけがない。任天堂にDSやWiiが作れてソニーにはできなかった理由も、根っこは同じかつシンプルで、そういうことなんじゃないかと思います。

http://blog.japan.cnet.com/kenn/archives/004101.html

うーん、耳の痛い話。

僕は仕事でコンシューマ向けのモノを作っている訳ではないし、エンターテイメントソフトウェアを作っている訳でもないので、そこにWillやiPhoneの様な画期的なUIとかそういったものは求められていない(もちろん、それが作れれば営業上の利益なんかはあるのだろうけれど)。しかしやはり、トップがユーザとして自社製品惚れ込み、惚れ込んでいるからこその要求を開発者に突きつける、という構造は、画期的な商品を産み出す為のひとつの重要な要素だと思うし、今働いている環境はそうなっていないという事実は何となく悲しい。
Paul Grahamが「Steve Jobsはthe most demanding userだ」という趣旨の事をスピーチで言っていたが、結局Appleが凄いのは、そのジョブスの要求と、それに答える従業員という構造なんだろう。また、UIなんてのは曖昧なセンスの問題だから、上を信頼していないと「また適当な要求出しやがって」と下の士気にも影響が出るだろうから、おそらく総体としてジョブスのセンスを皆信じているのだろう。
それにしても、iPhoneの開発をしていた江島さんの友達というのもCoolだ。

そしたら、実はiPhoneの開発をやっていたんですね。1月のiPhone発表のときにも、ジョブズが開発メンバーとその家族に感謝する一幕がありましたが、あのときに会場にいて、それまでの苦労がフラッシュバックしてぐっとこみ上げてくるものがあったと言います。

http://blog.japan.cnet.com/kenn/archives/004101.html

プログラマと無口

最近至極当然のことに気付いた。優秀なプログラマは無口だ。それも業務時間に限って言えば確実に無口だ。プログラミングに集中しているんだから当たり前だ。業務時間中になんやかんやと無駄話をくっちゃべってるってことは、それだけプログラミングに集中していないってことだろう。「無口=集中している」では決してないが、「無駄にしゃべっている=集中していない」は成り立つだろう。こんなに至極当然な事なのに、意外と気付いていない人間が多い気がする。先日http://d.hatena.ne.jp/rintaromasuda/20070601/1180649356というエントリを書いたが、「コミュニケーション能力を評価する」等と言い出す人間は、大体こういう基本的な事実を抑えていないのではないか。

ちなみにプログラミングしていないときに喋るか喋らないかはそれぞれと思われる。

プログラマ

偶然見ていただけなのだが、Wikipediaでプログラマを見ていたら以下の様に書いてあった。ちょっと長いけど引用。

品質や残業の発生など、プログラミングに関する問題について、多くのプログラマがオブジェクト指向、エクストリーム・プログラミング、アジャイルソフトウェア開発などのソフトウェア工学を熟知していないことが原因であるという見方がある。 しかし、日本では、このようなソフトウェア工学を修得する機会や研修期間、社内教育が用意されない企業も少なからずあり、企業のソフトウェア開発に対する認識が甘いのではないかという指摘もある。

また、大学など先端教育機関でのコンピュータサイエンスや情報工学、情報科学の研究成果が生かされていないことも指摘されている。採用の際に、「学歴なんか関係ない」「大学は何も役に立たない」と言い切る担当者も少なからずおり、専門教育を受けていたかどうかによる初任給の差も少ない。 [1] このような大学軽視の背景には、IT企業にはベンチャー企業が多く、学歴や大卒に対する偏見や誤解を持っている者も多いからと主張する者もいる。

大学等の専門教育が必ずしもソフトウェア開発の銀の弾丸にはならないことが近年わかってきてはいるが、それらが全く無駄だとは言い切れないことも事実である。顧客や経営者、マネージャの判断や行動等により、プロジェクトによっていかせる技能・知識に幅が出ることも、プログラマに必要な技能や知識は何かという問いを難しいものにしている。

ことにフレームワーク、デザインパターン、アルゴリズム、イディオムの効果的な実装に関しては、発想の柔軟さというものが切に求められる分野の職業でもある。そのためプログラマの能力によっては、実質的な仕事量が人によって数倍以上の開きを持つことも決して珍しくない。

なお欧米では学歴に関しては状況が逆で、学歴と待遇が比例しているといわれている。例えばマイクロソフトやグーグルといったソフトウェア関係の大企業では名門校出身者や高学歴保持者を特に優先して採用するのが一般的であるほか、ジョエル・スポルスキなど、優秀な人材を確保したければ優秀な大学で採用活動をすべきと明言するベンチャー起業家も多い。

プログラマ – Wikipedia

世間がどう考えているかとか、プログラマと呼ばれる人間の実力が大体どうだとか、誰も分からないし、僕がそんなことを断定するのはおこがましいが、まあWikipediaってのは誰でも編集できるわけだから、大体世間の総意だと思ってもいいかもしれない。勿論、この記事を編集しているのはほとんどプログラマだろうから、プログラマの総意ってことになるけれど。
実は僕も勤務先の経営者に同じようなことを言われたことがある。まあ日本の大学の教育レベルがあまり高くないであろうことは分かるし、学生があまり熱心に勉強していないのも分かるが、それでも何を勉強していたかとか、どんな経験があるのか、を無視してプログラマを採用するのは無理があるように思っている。勿論大学卒業時にまったくもって未経験だったけれど、輝くような才能を持っている、という例が無いとは思わない。しかし僕が色々な人を見てきた小さな経験から言わしてもらうと、かなり例外だと思う。頭が良い人を採用することは出来ても、そこからさらにプログラミングに熱意を持ち、継続的に学習を続ける人間を見つけるとなるとかなり難易度は高い。
僕は単純に、いつの日にかプログラマが専門職として世間に認知されれば嬉しいなと思っている。あまりにもプログラマと呼べる職業の幅が広いから難しいんだけれど、いつの日かそうなれば良い。高度なプログラミングを行う人間の仕事は専門職と呼ぶに相応しく、多くの知識と経験が必要とされる。世間的に専門職として認知されているであろう弁護士、医者、公認会計士等にもまったくひけをとらない職業だと僕は思っている。いつの日かそれが世間に認知されれば嬉しい。そんなことを単純に考える。
話は変わるけど、ついでに英語版のWikipediaを覗いてみたのだが、日本語版のプログラマの欄にあったような残業だ徹夜だ休出だというネガティブな空気がほとんど無いことに驚いた(Wikipediaはそういうことを書く場ではないという認識が強いだけかもしれないが)。まあ最後の方にオフショアリングによって仕事が無くなるのではという心配が載っていたけれど。

Enrollment in computer-related degrees in U.S. has dropped recently due to lack of general interests in science and mathematics and also out of an apparent fear that programming will be subject to the same pressures as manufacturing and agriculture careers. This situation has resulted in confusion about whether the U.S. economy is entering a “post-information age” and the nature of U.S. comparative advantages. Technology and software jobs were supposed to be the replacement for factory and agriculture jobs lost to cheaper foreign labor, but if those are subject to free trade losses, then the nature of the next generation of replacement careers is not clear at this point.

Programmer – Wikipedia