読書記録」タグアーカイブ

佐藤優、コウ・ヨンチョル「国家情報戦略」

国家情報戦略 (講談社+α新書)

国家情報戦略 (講談社+α新書)

なるほど、日本はある意味「元インテリジェンス大国」だったということらしい。
本書は日韓インテリジェンス対談である。すっかりおなじみとなった佐藤優氏と、韓国の元情報将校で、不運なめぐり合わせにより国から粛清を受けたコウ・ヨンチョル(チョルにあたる時がUnicodeにしか存在しないのか化けるので、カタカナ表記にて失礼)氏によるもの。二人の話は我々一般人からすると、現実離れしているというか、考えすぎというか、本当にこの世の誰かがそこまで計算して動いているのだろうかと思わせるようなものが多いが、そこまで想定しながら動かなければならないのが彼らの仕事なのだろう。彼らはある意味、既に表舞台に出られる身分なのでまだ良いが、このようなことを想定しながら、日々国民から賞賛される事もないのに、それでも国益の為の信じて活動しているインテリジェンスが世の中にいるかと思うと、少し頭の下がる想いである。それが何処の国の誰であろうと。
さて陸軍中野学校を北朝鮮がよく研究しているという話も面白かったのだが、本書を読んでやはり考えさせられたのが、将来の世界の様相というか、「核のドミノ」の発生と、それに伴った「恐怖の均衡」状態についてである。本書を読んだ感想では、この世界観というのは、もはやインテリジェンスだけが想定しておくべきものではなく、我々一般人レベルでも想定しておかなければならないことではないかと思った。それをきちんと想定しておいた上で、自分の職業や住む場所の選択も考慮に入れることが必要。今ってそういう時代だな。そう思う。

梅田望夫「ウェブ時代をゆく」

ウェブ時代をゆく ─いかに働き、いかに学ぶか (ちくま新書)

ウェブ時代をゆく ─いかに働き、いかに学ぶか (ちくま新書)

献本御礼(嘘)
昨日開店から30分くらい経ったオフィスの近くの書店で購入したが、平積みされていた本書の「山の高さ」は随分と低くなっていた。ウェブ進化論の続編という位置づけ売り出しているようなので、当然と言えば当然の注目度なのだろうが、それでも「結構売れているんだな」というのがそのときの正直な感想。今更ながら少し驚いた。
さて内容についてである。全体的な印象について述べさせて頂くと、梅田氏は、使い古された表現ではあるけれど「数人を千歩動かすことより、数万人を一歩動かすこと」に力点を置いているのだろうな、と感じた。例えば野球の指南書に例えるとしたら、この本を読んだ誰かの内の一人が将来イチロー級のプレイヤーになるよりも、この本を読んだ人の多くが「じゃあ明日からキャッチボールでも始めるか」と思ってくれればいい、というような考えでやっている。そう感じた。そして多くの人がそのように軽くウェブに参入してくることで、ウェブ上の集合知も(少なくとも量は)増していくであろうし、マスコラボレーションも促進されていくであろう。彼はそういう世界を狙っている。そんなイメージを受けた。
本書の内容とは直接関係ないのだけど、この本を読んでいて「あるモノ(本書で言えばウェブ)が面白くなっていく為の条件」というものについて少し考えた。矛盾しているようだけれど、あるモノが面白くなる為には、そのあるモノを面白いと思う人がたある程度存在することが条件なのかな、と。例えば何故渋谷が若者にとって刺激的な街になっていったかというと(僕の感覚は古いかもしれないが)、渋谷が面白いと思って集まった若者がいたからであろう。なぜゲームが日本でどんどん進化していったかと言えば、それはゲームを面白いと思う人がたくさんいたからだろう。それと同じように、ウェブが面白くなる為には、もっともっと色々な人がウェブに興味を持ち、ウェブに集まってきてもらう必要がある。そうすることでさらにウェブが面白くなる、そして面白いから人がもっと集まる、そういうサイクルが必要な訳だ。つまるところ、梅田氏が狙っているのはそこだろう。ウェブに向かって万人を一歩踏み出させる。そういう本ですよ、これは。
よって「数人を千歩動かす」の数人に含まれるようなウェブに既に浸かっているタイプの人間にはそんなに面白い本ではないというか、某ブロガーが言っているように既知の話題で埋め尽くされているような印象を受けるかもしれない。
と、いうこと考えた今日は29歳の誕生日。今年一杯でこのブログのタイトルも変更だな。

ひろゆき「2ちゃんねるはなぜ潰れないのか?」

2ちゃんねるはなぜ潰れないのか? (扶桑社新書)

2ちゃんねるはなぜ潰れないのか? (扶桑社新書)

非常に正直な人物だというのが印象に残った。正直というとクリーンな言葉過ぎるかもれないが、まず現状をなるべくあるがままに、つまり自分のプライドだったりとか希望的観測だったりとかをなるべく排除した形で捉えようとしている人間という印象。そして自分の思っていることをなるべく飾らずにアウトプットしようという姿勢を持った人間ではないかという印象。この2つを持って、正直な人だな、というのが僕のひろゆき氏に対する印象。
でWEBの未来がどうとかこうとかという話にはまあ参加する気はないのだけれど、WEBは確かに便利になった。産業革命とか当たり前だけど経験していないが、僕らが情報革命で感じたくらいの生活の利便性の向上をあの時代に生きた人間は実感しただろうか。別に移動しながら電話できたり、家で本が買えたり、電車に乗るときにもはや切符が必要なくなったとしても人間の本質なんてそう変わるもんじゃなかろうし、それらの技術で皆が生産的な人間に変わることなんてありえないだろうし、技術的にも大きな革新があるわけではなく、まあ日々研究者やエンジニアの方々が既に「理論的に可能だ」と考えつくされていることを出来るだけ正確に、早く、安定した形で我々に商品という形で提供しようと頑張ってくれている、そういう状態だろう。
しかし、

そもそも世の中には「これが正解」なんてものはないことを考えれば、さまざまなベクトルを持った人たちの意見を幅広く吸収することは大切。その意味では、梅田氏の「ウェブ進化論」を読んだ人は、バランスをとるためにもぜひともこの本は読むべきだろう。「ウェブ進化論」は今ネットの世界で何が起こっているのか良く分からない人には良い薬だが、良薬の常でそれなりの副作用もある。その意味では、この「2ちゃんねるはなぜ潰れないか?」は「ウェブ進化論」の副作用の解毒剤としては最適ではないだろうか、というのが今日の結論である。

Life is beautiful: 「2ちゃんねるはなぜ潰れないのか?」は「ウェブ進化論」の格好の解毒剤!?

と中嶋氏なんかも仰られているけど、ウェブ進化論ってそんなに理想手主義的に過ぎる本だったのかなぁ。あまりそういう印象を受けなかった僕は理想主義的に過ぎるのだろうか。あの本では特に具体的に「将来WEBでこれが実現される、あれも実現される」とか書いていなかったから、あまり世の中で言われている程のWEB至上主義的なイメージを持っていないのだが。それだったら、空飛ぶクリーンな自動車を想像している方がよっぽど理想主義的な気がしてしまうのだが。

村上春樹「風の歌を聴け」〜「ダンス・ダンス・ダンス」

風の歌を聴け (講談社文庫)

風の歌を聴け (講談社文庫)

1973年のピンボール (講談社文庫)

1973年のピンボール (講談社文庫)

羊をめぐる冒険(上) (講談社文庫)

羊をめぐる冒険(上) (講談社文庫)

羊をめぐる冒険(下) (講談社文庫)

羊をめぐる冒険(下) (講談社文庫)

ダンス・ダンス・ダンス(上) (講談社文庫)

ダンス・ダンス・ダンス(上) (講談社文庫)

ダンス・ダンス・ダンス(下) (講談社文庫)

ダンス・ダンス・ダンス(下) (講談社文庫)

「風の歌を聴け」から始まる四部作を一気に読んだ。内田樹さんの村上春樹にご用心を読んだら猛烈に読みたくなったので、講談社文庫で一気に購入した。こういう購入の仕方を世間では「大人買い」とか言うらしいけど、まさにその大人買いである。こういうときに文庫は便利だ。
さて、今更この名作に僕なりの解釈を加えることが何かしらの意義を為すかどうかは分からないというか、おそらく何も為さない。だからつらつらと感想を適当に述べようと思うけれど、まず「名前」というものについて奇妙な感覚を持った。これらの作品に出てくる人物達には基本的に名前というものがはっきりと存在していなかったり、隠されていたり、あだ名で呼ばれていたり、あるいはカタカナ表記されていたりという具合である。一方で場所や建物なんかにはしっかりとした名前が付いていたりと対照的であったりして、この辺に村上春樹氏が何かしらの意図を組み込んでいるんだろう推測しているのであるが、それがなんなのかはよく分からない。
偉そうなことを言ってしまうなら、素人のくせに能書きを垂れてしまうなら、羊をめぐる冒険とダンス・ダンス・ダンスの間には奇妙な溝があるように感じたというか、連続して読んだからかもしれないけれど、昇っていたエレベータの景色が急に様変わりしたようなというか、何か異質な世界に入ったような感覚を覚えた。これは70年代的なものと80年代的なものの違いなのか(そして僕が生まれた時代と育った次代の違いでもある)、村上春樹という作家の成長もしくは変貌によるものなのか、あるいはただの僕の読んだときの体調であるとか気分であるとかそういった読者側の要因なのか、その辺は分からないのだけれど、確かに溝がそこにはあった。少なくとも僕の今回のこの読書においては。
で、僕が一番好きな登場人物は鼠である。いきなり極めてノーマルな感想になったけれど、好きな登場人物を語り合うというのは大事だろう。僕は鼠が好きだ。細かく言うと、主人公との台詞のやり合いの中で繰り出される鼠の印象的な一言が好きだ。はっきり言って、すごくいい。

辰濃和男「文章のみがき方」

文章のみがき方 (岩波新書)

文章のみがき方 (岩波新書)

朝日新聞の天声人語を書いていた経験のある著者による文章のみがき方論。以前にも文章の書き方 (岩波新書)という新書を著されている様なので、本書は姉妹版ということになる。全然本書とは関係がないのだけれど、僕は新書の中ではこの岩波新書の装丁が一番好みだ。知的でお洒落な印象だが、あまり五月蝿さを感じさせない。
ざっと読ませて頂いたけれど、なるほど、テーマ別に、テーマというのは「文章を書くとき、または日常生活の上で文章を書く人が心掛けておいた方がいいと思われること」を纏めたものなのだが、テーマ別に色々な作家の方の言葉や文章の実例を引用されて、それに対する著者なりの分析やアドバイスや考察が書かれている。「文章を書くために」をテーマにしているけれど、まあ人と話したりするときや何か作品(絵とか映像とかでも)を創りあげるときにだって同様の心がけが必要だと思われるので、クリエイターの方なら一読して得るものはあるだろう。勿論、本書はあくまで文章を書くことにテーマを絞って書かれているので、そこは読み手側に抽象化して読むことは求められるのだが。
本書の具体的な内容は勿論書きませんが(この言い回し、もう何回も書いている気がするので、そろそろ別の言い回しを考えないと)、ひとつだけ批判点を挙げるとすれば、著者のカタカナ語に対する警鐘はちょっと違和感を覚えるというか、あるいはまだ僕が若造だからかもしれないけれど、「それくらいの言葉は使わせて欲しい」とか「むりやり日本語にされてしまうと、はっきり言って分かり辛い」とかそういう種類のありがちな反感を覚えた。世の中にはルー大柴さんばりにむりくり英単語を使う方もいるにはいるけれど(ルー氏のはネタだが、本気でやる人がいる)、あくまで少数派だし、どうせ淘汰されるのだがら頬っておいても問題がないと思うのだけれど。そして淘汰されないものに関しては、それは残しておけって自然の原理がそう言ってるんだと、僕はそう受け止めたい。何十年後もそう思っているかって言われたら責任はとれないって思いますが。

内田樹「村上春樹にご用心」

村上春樹にご用心

村上春樹にご用心

ウチダ先生による村上春樹論が一冊の本として纏まったようなので購入。最近は作家の方がブログを頻繁に書いている例が多いので、ブログの記事を体系化して本にするというケースが本当に増えた。この様にブログと出版会とはゼロサムの関係にあるようなものではなく、相互補完的な関係にあるのがベストの状態なのだと思う。
僕は村上春樹氏の書籍はそれなりに読んではいるのだが(肝心の「風の歌を聴け」シリーズをまだ読んでいなかったので、今回急いで購入)、先生の村上春樹論に突っ込みを入れるほどの知識や情熱は持ち合わせていない。だから感想のみを挙げさえてもらえば、まず村上春樹氏が日本の評論家からあまり高い評価を得ていないという現象に関しては、真剣に「不思議だなぁ」と思う。まあこれがスポーツだったら分かり易いんだろうなと思う。だってイチロー相手に「あのスイングは認められない」とか行ってる野球評論家とかおそらくいないんだろうし。評論家の方も色々だろうが、作家出身の方だったりすると複雑な感情もあるんだろうな、というところは察するものの、うん、難しい。ちょっと今度自分で評論読んでみよ。
あと村上春樹論とは直接関係ないのだけれど、先生が「比較文学論とは何だろうか」、「文学とはなんだろうか」と深く思考してく過程が本書には載っていて、そこは凄く面白いと思いましたよ。あるテクストが文学かそれとも文学ではないかを決める要素とはなんだろうか。例えば今僕が書いているこの文章は間違いなく文学ではないのだろうけど、それは何故なのか(「いや、文学だ」と優しい嘘をついてくれる方募集中)。そういうことって「その意見が正しいのかどうか」とかそういうことに僕の興味はあまりなくて(飲み屋でのたまう為に覚えておくことはあるけれど)、それを煮詰めていく課程にすごく興味があるんですよ。なので僕と同じそういう嗜好をお持ちの方は本書を読んでみるか、先生のブログの過去ログを漁ったりすると面白いものに出会えるかもしれない。
兎にも角にも、村上春樹氏に負けず、先生の文章も読み応えはあります。

串田孫一「ギリシア神話」

ギリシア神話 (ちくま文庫)

ギリシア神話 (ちくま文庫)

冒頭で著者も述べているが、神話というと一般的には「そこから何か教訓を得られるのではないか」というイメージを我々に抱かせるが、ギリシア神話からその様な教訓を得ようとするのは間違いであると思う。ギリシア神話は特に何かしらのメッセージを発している訳ではないただの物語であり、ジャンルに分類する必要があるのであれば「コメディ」に分類するのが一番妥当なのではないかというのが本書を読んだ僕の感想。繰り返される神々の暴挙、嫉妬、殺戮、闘争、感傷は読み進めていくほどに滑稽であり、僕の笑いを誘った。
これも本書の最後に著者が述べていたことそのままだが、「ギリシア神話を読みたいけれど、分厚くて難解そうな学術研究の対象になるような本はちょっと読みたくないけど、絵本みたいなギリシア神話もちょっと…」という方がいたら本書はお薦め。ページも文庫サイズで200ページ強と短めなので、まずはここからギリシア神話に入ってみると、その内難解な方向にも興味が出るかもしれない、そんな一冊。

風間完「エンピツ画のすすめ」

エンピツ画のすすめ (朝日文庫)

エンピツ画のすすめ (朝日文庫)

まあ「趣味として絵画をはじめてみてはどうですか?」というよくある話なのだが、著者の語り口のせいか、非常に爽やかに読めた一冊である。エンピツ画のすすめといっても、紙一枚とエンピツ一本だけではじめられる芸術、という象徴的な存在としてエンピツ画を著者はすすめているだけで、別に油絵でも水彩画でも構わない。
どうしてもこういう分野は「僕(私)には才能が…」という展開になりがちだけれども、著者が本書で述べているように「なんか絵が描いてみたい」と思った時点であなたには才能があると言えるのではないかと思う。躊躇してしまう人は、まずは目の前の何かをメモ帳にでも描いてみてはいかがだろうか。もっと上手くなりたいとか、描いている間すごく楽しかったとか思えたら、それはさらなる才能の証拠。
ちなみに僕も読後に何枚かエンピツ画を描いてみた。奥さんには概ね好評だったが、流石にネットに晒すのは遠慮しておこうと思う。そういうレベルでした。

高村薫「照柿」

照柿

照柿

先日図書館に行った際に「リサイクル本」として痛んだ書籍が配布されていたのだが、そこで貰ってきた一冊。高村氏の小説はずっと読んでみようと考えていたのだが、長編がほとんどのこともあり中々手が出せなかったのだが、無料で頂けるとは丁度良い機会だった。
本書は実はマークスの山 (ハヤカワ・ミステリワールド)に続く合田刑事モノの第2作目だったようなので、正直言うとそちらから読みたかったが、特にストーリーに続きがあるとかそういう感じでもなさそうなので、まあ問題なかったと思う。
文章のタッチは非常に乾いている、というのが第一印象。正直今回はパラパラと素早く読んだせいか、あまり小説の世界に入り込むことは出来なかった。

久石譲「感動をつくれますか?」

感動をつくれますか? (角川oneテーマ21)

感動をつくれますか? (角川oneテーマ21)

宮崎アニメや北野映画、最近ではサントリーの伊右衛門のCM音楽などでおなじみの作曲家である久石譲氏による新書。ちょっと立ち読みで興味が湧いたので購入してみた。
タイトルは「感動をつくれますか?」と、いかにもエンターテイメント産業を志す人向けの本のようなものだが、内容自体は「どのように仕事を進めるか?」という至極まともな内容というか、この久石さんという方は非常に論理的な思考をする方であると推測できるのだが、作曲家という自分の仕事についてかなり分析的に考えているようだ。例えば作曲家とか芸術系の仕事だと、曖昧に「センスがある」とか「感性が鋭い」とか評して、なんとなく回りもそれで分かったような気になってしまうけれど、氏はもう一歩きちんと突っ込んで考えているという印象を受ける。
氏がミニマルミュージックからエンターテイメントミュージックの世界に方向変えしたのも、マーケティングでいうところの「プロダクトアウト」から「マーケットイン」という考えの転換であろうし、ビジネスパーソンにとっても勉強になる一冊である。もちろん音楽や映画に関わる人間や、エンターテイメントの世界を志す若者にとっても示唆に溢れる内容となっているので、「ヒットメーカーとはどのような思考の持ち主であるか」をチェックしたいと思ったらお薦めでございます。