月別アーカイブ: 2006年3月

孫正義氏が溜め込んでいた鬱憤

R30さんのところを中心に、「ソフトバンク×ボーダフォン」の話題がネット上で盛り上がりを見せている。僕もほんの軽く意見を述べておく。

http://plusd.itmedia.co.jp/mobile/articles/0602/10/news103.html

を読むと、孫氏は以下のようにコメントしていたらしい。

ブロードバンドはNTTと同じタイミングだったが、携帯は先行3社が以前から展開している。1〜2年でひっくり返そうとするとケガをするだろう。徐々にアクセルを踏み、10年20年でも着実に進めていく。

これは「最終的な勝者になるのが10年、20年後だ」という意味であって、ボーダフォンとの取引がまとまった後の孫氏の動きは、光のごとく早いであろうことが容易に想像できる。既存の携帯電話業界に対する鬱積した想いと、総務省とのいざこざで溜まったストレスを一気に晴らすべく電光石火の動きを見せるに違いない。おそらく彼の中でずっと思い描いていた「携帯電話に対するビジョン」があり、今回の買収でボーダフォンという、ビジョンを具現化できうる「道具」を手に入れるわけだから、プログラマでいう「頭の中では完成しているから、あとはコード書くだけなんだよね」という状態になったことになる(プログラマの場合、ここから長いときあるけど)。もう戦略は練りに練られているのだ。
孫氏が戦略打ち出す→業界構造に変化→他社が対応策→孫氏が新たな戦略を…というループがしばらく続き、事態が収束するのが上述した10年、20年後ということになるだろう。
それにしても孫氏がここまで携帯電話にこだわっている以上、孫氏が打ち出してくる戦略には大いに興味を持たざるをえない。現在の僕の仕事は携帯電話に関係がないし、プライベートでも相当なプアーユーザーなので、今後はその一点だけに注目である。
ウィルコムの件といい、僕の知らない間に日本通信業界の大変革は始まっているようだ。

JavaでIPアドレス取得プログラム

Javaというよりも、Eclipseに四苦八苦しながら徐々に進んでいる自習だが、本日はホスト名からIPアドレスを取得するプログラムを作ってみた。
実は、「一つのホスト名が複数のIPアドレスと結びつく場合がある」という基本的な事実を知らなかった為、InetAddress.getAllByName()の意味が分からず若干苦戦。以下のサイトのおかげで分かりました。

http://wisdom.sakura.ne.jp/system/java/net/javanet2.html

せっかくなので、実行結果を以下に貼っておきます。IPアドレスが複数あるってどういう意味なんだろう。規模の問題だろうか。

www.yahoo.co.jp:
203.216.243.218
203.216.247.225
203.216.247.249
203.216.227.176
203.216.231.160
203.216.235.201
www.yahoo.com:
66.94.230.46
66.94.230.50
66.94.230.75
66.94.230.38
66.94.230.40
66.94.230.41
66.94.230.42
66.94.230.44
www.hatena.ne.jp:
221.186.146.27
www.microsoft.com:
207.46.19.60
207.46.20.30
207.46.198.60
207.46.199.30
207.46.199.60
207.46.225.60
207.46.18.30
207.46.19.30
www.google.com:
66.102.7.99
66.102.7.104
66.102.7.147

直感と論理的思考

http://d.hatena.ne.jp/rintaromasuda/20060222/1140561565

で紹介した「簡単に、単純に考える」の中で、羽生義治氏が興味深いことを書いていたのでここで紹介したい。

将棋には「読む」プロセスと「大局観」で判断する局面がある。「読む」作業は、余計なことを考えずに、ただ指し手を次から次へと頭の中で進めていき、その結果どういう場面になるかを想定することである。一方、「大局観」は、パッとその局面を見て、今の状況はどうで、どうするべきかを直感で判断することである。当然、若いときは体力があり、集中力も高いからたくさん読める。
(中略)
一方、年を重ねると、ただ読むのではなく、思考の過程をできるだけ省略していく方法が身につく。修羅場に強くなるというか、経験をうまく活かしていくのである。晩年の大山康晴先生の将棋は、まさにその典型であった。

たとえば、一つの局面で、この局面は「この手しかない」と閃くときがある。一〇〇%確信を持って最善手とわかるのだ。論理的な思考を直感へと昇華させることが重要なのである。勝負の場面では、時間的な猶予もあまりない。論理的な思考では、時間もかかり相手に後塵を拝してしまうかもしれない。初手からの流れのなかで、これしかないという判断をしている。つまり、思考の過程を細かく砕かないで、どんどんやっているのだ。

また、

http://d.hatena.ne.jp/rintaromasuda/20060228/1141075355

で紹介した「文体とパスの精度」の中で、中田英寿氏が、村上龍氏との会話の中で以下のように言っている。

中田 おもしろいよね。試合後に「あのときは何を考えてパスしたんですか?」って訊かれても、考えるというより、それは反応だろうってよく思うんだけど。(笑)結局、練習の積み重ねしかなくて、その中から本能的にチョイスしているだけ。あそこにスペースがあるからとか、たぶんあそこのディフェンダーがきて、四秒後に追いつくかな、みたいなことをいちいち考えているわけではない。それは瞬間的な判断としか言いようがないし、そのための反復練習なんですよ。

「直感型の人間である」とか「論理的に考える人間である」といったような表現は、正反対のものであるかのように捉えているのが一般の感覚だろう。だが一流の棋士であり、一流のスポーツ選手である両氏の言葉より、「直感」と「論理的思考」という言葉に対する認識を改める必要性を感じた。
概ね我々が従事している仕事は、将棋やサッカーよりも判断に使える時間が長い。だが全ての物事を論理的に詰めている時間は当然なく、最後には直感、悪く表現すれば「なんとなく」で物事を決断するケースはやはりある。論理的に詰めた決断でなかったり、ある方法論にのっとった決断でなかったりした場合は、説明責任を果たしづらいし、何より、結果はどうあれ、自分の中で悔いの残る決断だったりする。その為なるべく「なんとなく」の決断を減らそうと、論理的な説明付けのために時間を費やしたり、今までの実例や実績、誰かの方法論にのっとった決断に逃げたりする。これらは決して誤った行動ではないが、自分の思考が、学んだ方法論が、最後に自分の直感として昇華されるなら、堂々と直感に従って決断を下して良いときがあるのではないだろうか。少なくとも、そういう視点を持って仕事を進めていっても良いのではなかろうか。
僕は自分にとって、「論理的に思考すること」、「方法論を学ぶこと」は大事だと考えている。それは世間一般で言われている「直感的な行動」をしない為だと考えていたが、最終的により良い大局観を持って物事を判断する為だと考えるべきなのかもしれない。新しい視点を与えてくれた両氏には感謝したい。

木の食卓

rintaromasuda2006-03-04

木製のテーブルを本日設置。木製だと和風の食事にも合うし、洋風の食事にも合う。全般的に他の家具にも溶け込み易く、使い勝手が良い物だと思った。さらに前回使っていたガラスの食卓に比べてかなり軽いのは嬉しい。
脚が四本あるタイプではなく、写真では分かりづらいかもしれませんが十字に支えが入っているタイプです。

英会話における羞恥心

日本人が英会話を習得するうえで一番問題になっていることは何か。学校教育が矢面に立たされているが、僕は単純にそうは思わない。一番問題なのは、話す人自身の羞恥心である。

日本人の中で人前で堂々と英語を英語らしく口に出来る人がどれくらいいるだろう。これは発音が上手いからとか下手だからとかそういう話ではなく、「What is your name?」でも「How are you?」でもいいから、堂々と大きな声で口に出そうとしているかという話である。正直少ないはずだ。以前知人と国際線に乗っていたとき、その知人が「Coffee, please」と言うのを恥ずかしがって「コーヒープリーズ」と日本語の発音でフライトアテンダントにコーヒーを注文したのを覚えている。これは非常に日本人的な羞恥心の表れだとそのとき思った。
その一方で英語を母国語としない他国の人々の様子は違うようだ。

http://d.hatena.ne.jp/rintaromasuda/20060227/1140993395

でもちらっと書いたのだが、欧州人や南米人、中東人、アフリカ人や中国人はとにかく英会話に積極的だ。彼らは文法の間違いを恐れないし、発音にお国柄は出るものの、英語を英語らしく話そうとしている。なにより日本人と違うと痛感させられるのは、彼らは「恥ずかしがっていない」のである。これはとてつもなく大きい差のように感じられた。恥ずかしがる日本人は英会話をする機会をそもそも逃し易いので、単純に考えても他国の人間より上手くならないという結論になる。

羞恥心というものは英会話の問題に関わらず、日本人が文化として持っているものの一つであり、無くしていいものではない。だがインドや中国の経済的繁栄を尻目に、我が日本国の英会話のレベルを向上させたいと本気で考えるのなら避けて通れない課題の一つであることは間違いない。小学校でも英語を教えるか、という議論を定期的に見かけるが、その議論にこの羞恥心問題はおそらく含まれていないだろう。子供時代というのは羞恥心がまだ完成されていないので、上手くコントロールすれば英会話に関する羞恥心を作らせないことも出来るかもしれないが、逆に言えば一生物の羞恥心を醸成する可能性もあることは念頭においてカリキュラムを考えてもらいたい。特にただネイティブスピーカーだからって外国人の先生を招いても、彼らは日本人の子供の特質なんて知らないから、一生物のトラウマを植えつけるような授業をしてしまうかもしれない。そういったことを総合的に考えて、文科省の方々には英会話の問題に取り組んで頂きたいものである。

仕事帰りにCOLD STONE CREAMERY

昨年六本木に上陸したアメリカのアイスクリーム屋COLD STONE CREAMERYに奥さんと行ってきた。ここはサイズの表記が面白くて、一番小さいのが「Like it」、中ぐらいが「Love it」、一番大きいのが「Gotta have it」となっている。日本ではどのようにサイズが表記されているのか楽しみにしていたが、アメリカと同じであった。表記は同じだったものの、日本語調子で「ライクイットください」と言っているのを聞くと、「I like it!」のLikeじゃなくて「Like this?」のLikeに聞こえてなんだか変な気がした。
味も本国と変わらず濃厚で美味しかった。ただし、記憶が確かではないのだがアメリカ版と比べて随分小さいような気がする。たしかあちらで食べたときはLike itでも食べきれない量だったのだが。
今年中にあと二店舗オープンする予定のようだ。比較的自宅から近いところにも出来るようなので、また行ってみようと思う。

朝一番にすること

朝起きて一番に何をするかは結構重要な問題だと思う。通常いきなりPCに向かっている僕だが、顔を洗って髭を剃るところから始めてみようかと思い立ったので早速実行。成果の程はまだ分からないが、時間を有効に使えたような気がする。気分も悪くない。
生活の一コマ一コマも模索の日々である。

報告・連絡・相談

仕事は決断の連続である。個人的には、自分で自分の仕事に関する決断を下せる環境が、成長をもっとも促進する環境だと思う。結果が成功だろうが失敗だろうが、誰かに指示されて実行した場合に比べて得るものが格段に大きい。
ただし成長を見守る側(上司や先輩)は、ただ成長してもらう側に判断を投げっぱなしにしておけば良い訳ではない。最近の民主党ではないが、先走った行動がリスクになる場合もある。ではどうすれば良いのか。
許可を得るのと報告は違う、というのを双方理解しておく必要があると思う。常に上司や先輩に、自分の行動を掴ませておくのである。上司側からすれば、簡単な報告を頻繁に受けておくのである。そうすることにより、超えてはいけないラインを超えるまで自分の決断で動くことが可能になる。逆を言えば上司はそこの見極めが出来なければならない。
いちいち上司に許可を求めなければ動けないような組織は成長に望ましくないし、半人前の人間が好き勝手に動きすぎる組織はリスクがでかい。この問題を解決するには、実は基本中の基本のホウ・レン・ソウが有効なのである。