月別アーカイブ: 2007年7月

自民党歴史的大敗

第21回参院選は29日午後8時で投票を締め切り即日開票された。開票はまだ続いているが、自民党は岡山選挙区で党幹部の片山虎之助参院幹事長が落選するなど、自民党の惨敗は確実になった。しかし安倍晋三首相は同夜、首相公邸で記者団に対し、選挙結果にかかわらず続投する意向を表明した。しかし、参院では野党が過半数を確保するばかりか、民主党が参院第1党になるのも確実な情勢だ。安倍首相は内閣改造などで人心一新を図り、挙党態勢を改めて整える考えだが、参院の国会運営の主導権を失ったままでの政権運営には困難も予想され、今後の政局は不透明になるのは必至だ。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070729-00000074-mai-pol

選挙の結果なんてのはそのときそのときの水物だし、年金がどうのこうの、外交がどうのこうの言ってはみるものの、どこの政党に任せてもまああまり変わらないだろうというあきらめもある。しかしながら、やはり一党による長い支配体制が続いているというのは健全な状態とは言えないとずっと思っている。水でも何でもそうだが、流れの無いものはいずれ濁る。その意味では、今回の参院選の結果は喜ぶべきなんだろう、僕としては。

ジョージ・ポリア「いかにして問題をとくか」

いかにして問題をとくか

いかにして問題をとくか

結論から言うと数学を学ぶ者だけでなく、働く人は一度は目を通す価値ありだと思う。
本書はポリア教授により、数学の問題を解くに当たっての考え方の手順や方法を学生にどの様に教えるか、という目的で書かれたものである。が、どんな数学の問題にでも当てはめることが出来るように、その手順は十分に抽象化されている為、数学を超えて、色々な物事の問題を解決するときにも使える内容になっている。一度は目を通しておき、ポリア教授の言葉を頭に刻んでおくと有意義だと思う。
正直本書は大分前に購入したのだが、日本語の表記が若干古めなことと、独特の内容にいまいちついていけず、ずっと本棚にしまってあったのだが、今回久しぶりに取り出してみると名著であることが分かった。それだけ自分が成長したのではないかと思う。
ただし記述は非常に冗長。1ページ目と最後のページにポリア教授の手順を整理した表(リストと呼ばれていたが)が載っているのだが、中身は延々とこのリストの内容が繰り返されているので、このリストをまず頭に入れ、続いて最初の何十ページかを読めば、後は飛ばし読みでも構わないと思われる。

イアン・スチュアート「若き数学者への手紙」

若き数学者への手紙

若き数学者への手紙

凄く面白く読めた。数学系の読み物が好きな読者だったら楽しめるだろうと思う。
タイトル通りなのだが、本書はおそらく老齢の、そして数学者としての経験が豊かなある教授が、これから数学者への道のりを歩み始めようとしている「メグ」という架空の若者に対して送った手紙、という形式になっている。メグは大学で数学を専攻し、大学院に進み、やがて数学者としての職を得ていくのだが、その要所要所でこの教授からの手紙を受け取っている。我々はそれを読むわけだ。
手紙は全部で21あるのだが、全てが教授の数学への愛で溢れている。数学とはどんなものなのか、証明とは何か、数学が何故素晴らしいのか、世間が如何に数学を誤解しているか、数学者とはどんな職業なのか、大学で数学をどの様に教えていけばいいのか、そして数学は何をどの様に学んでいけばいいのか、などが手紙の内容である。別に数式が出てくる訳ではないが、手紙の内容は知的興奮を掻き立てるものがある。
この本は2007年出版なので、例えばインターネットなんかも話題の中に平気で出てくる。この手の本は内容が時代に即してないことが多いイメージがあるのだが、本書は大丈夫。
この教授からメグに何冊かの書籍が紹介されていたので、今度はそちらを読んでみようかな、と思っている。

Coolなモノを産み出す企業

つまり言いたいのは、部下からのレポートや数字をみて判断してるだけのトップがやってる企業には、こういうイノベーションは金輪際ムリだよね、ということです。自社製品に惚れて使い倒して、その面白さの本質に触れてない限り、カタログスペックに載ってこないようなユーザビリティの部分での勝負なんか、決断できるわけがない。任天堂にDSやWiiが作れてソニーにはできなかった理由も、根っこは同じかつシンプルで、そういうことなんじゃないかと思います。

http://blog.japan.cnet.com/kenn/archives/004101.html

うーん、耳の痛い話。

僕は仕事でコンシューマ向けのモノを作っている訳ではないし、エンターテイメントソフトウェアを作っている訳でもないので、そこにWillやiPhoneの様な画期的なUIとかそういったものは求められていない(もちろん、それが作れれば営業上の利益なんかはあるのだろうけれど)。しかしやはり、トップがユーザとして自社製品惚れ込み、惚れ込んでいるからこその要求を開発者に突きつける、という構造は、画期的な商品を産み出す為のひとつの重要な要素だと思うし、今働いている環境はそうなっていないという事実は何となく悲しい。
Paul Grahamが「Steve Jobsはthe most demanding userだ」という趣旨の事をスピーチで言っていたが、結局Appleが凄いのは、そのジョブスの要求と、それに答える従業員という構造なんだろう。また、UIなんてのは曖昧なセンスの問題だから、上を信頼していないと「また適当な要求出しやがって」と下の士気にも影響が出るだろうから、おそらく総体としてジョブスのセンスを皆信じているのだろう。
それにしても、iPhoneの開発をしていた江島さんの友達というのもCoolだ。

そしたら、実はiPhoneの開発をやっていたんですね。1月のiPhone発表のときにも、ジョブズが開発メンバーとその家族に感謝する一幕がありましたが、あのときに会場にいて、それまでの苦労がフラッシュバックしてぐっとこみ上げてくるものがあったと言います。

http://blog.japan.cnet.com/kenn/archives/004101.html

鈴木宗男、佐藤優「反省」

反省 私たちはなぜ失敗したのか?

反省 私たちはなぜ失敗したのか?

話題の二人(と言っても一昔前の出来事の感があるが)による対談を書籍化。二人が赤裸々に自分達の犯した過ちを反省し、我々読者の今後の生活の糧としてもらいたいという内容になっている。反省とは言っているものの、本の端々には外務省への批判が含まれている。外務省がこれほど○○だと思っていなかったとか、そういう内容の反省が続く。ちょっと冗長な内容になってしまうかと思われたが、そこは二人の経験や見識によってフォローされているというか、全体を通して面白く読むことが出来た。
しかし彼らの批判の的になっている外務省だが、彼らの話が本当であるという立ち位置から考えれば、国民全体で真剣に批判するべきであろう。僕は多少外務省員が税金で遊んでしまってもある意味しょうがないというか、そこまで監視することは出来ないと思っている(監視しだすと余計にコストがかかるのではないかとも思っているが)。しかしながら、外交官や大使というのは我々日本人と他の国との人間のいわばインターフェースになる人間である。ここに十分な能力を持ち、人間的魅力に溢れた者を配置できないとしたら、それこそ国益を損ねる。ソフトウェアの世界では、インターフェースだけは少なくともしっかり設計しなくてはならない。そこさえしっかりと設計できていれば、中身は後から何とでも修正が聞く。外交の世界にも似たようなことがあるのではないか。
とまあ素人意見をくだくだと述べたけれど、基本的に佐藤優氏のファンなので楽しく読めた。対談の中でいくつか気になる書籍を佐藤氏が挙げていたので、さっそくAmazonで注文してみようかと思う。こういうとき、便利な世の中になったと実感する。

吉田武「あの無限、この無限、どの無限?」

あの無限、この無限、どの無限?―数式のない数学の話

あの無限、この無限、どの無限?―数式のない数学の話

色々なテーマ(数学とは直接関係のないもの)を題材に、無限を読者に理解し、楽しんでもらうための小話18話から本書はなっている。内容は徹底的に無限に照準を絞っているので、無限について慣れ親しんでいる人には冗長ではないかと思われるが、例えば中高生などこれから無限について学ぼうかという人達にはイントロダクションとしてお奨めできる。往々にして日本の教育現場では、それが何かという話は置いておいて「ぽっ」といきなり新しい概念が出てきてしまいがちなんじゃないかと思う。そうすると学ぶ側としてもあまり興味を持てず、言わば丸暗記の対象としてしかその概念を見れないというような状況に陥りがちである。その辺の隙間を埋める良い題材ではないだろうか。

正高信男「考えないヒト」

考えないヒト - ケータイ依存で退化した日本人 (中公新書 (1805))

考えないヒト – ケータイ依存で退化した日本人 (中公新書 (1805))

著者にはかなり申し訳ないが、正直に感想を述べると、若者に対する鬱憤が溜まっている年配の方が溜飲を下げる為に読む本の様に思えてしまった。
確かにケータイに代表されるIT技術の進歩は我々を、特に若者を大きく非文化的、非常識、非人間的な存在へと変えていっている面はあると大いにあると思う。ケータイやネットに依存し、コミュニケーションも上手く取れず、キレやすかったり家族とも良い関係が保てていなかったり、そういう若者は多いだろう。そして考えない人間が増えているであろう事も感覚としては納得する。もちろん僕はまだ30年も生きておらず、過去がどうだったかなど肌では知らないが、まあ一昔前は今よりも色々と考えなければならないことが多かったのは事実だろうと思うし、我々や我々より若い世代の人間が、IT化により節約できた時間を何か他の事に有効に投資しているかと言われれば、まあほとんどの人間はしていないだろう。
しかしこういう話を読んだり聞いたりすると必ず思うのだけれど、例えば電話が無かった時代の人間は、電話が当たり前の世代の人間よりも(例えば)考える人間なのか。郵便システムが無かった時代、自動車が無かった時代、印刷技術が無かった時代、飛行機が無かった時代、電気が無かった時代、果ては言葉が無かった時代はどうか。昔は良かった的な意見を言う場合には、必ず今語ろうとしている「昔」よりも昔の話を考慮してからにしてもらいたい。近年のIT化だけが人類が今まで歩んできた技術の進歩の中でも特別な存在だというのであれば、その根拠も示してもらいたい。
あと枝葉に突っ込むようだけれども、第四章の「文化の喪失」にて「ルイ・ヴィトンが売れているのは商品が良いからではなくて、マスコミに取上げられているし、皆が持っていていて自分が持っていないとつながりを保てないからだ」、「ハリーポッターが売れたのは外国で評判になったから」と主観で決め付けているのにも関わらず、その直後に「「バカの壁」が売れたのはタイトルが注目されたのがきっかけだけど、その真面目な内容が受けた」と日本人の同業者には妙なフォローを入れている。「「蛇にピアス」も「名作だけど、本来ならばあまり売れそうもないのに売れた」」とも言っている。完全に主観と事実を混同している。「バカの壁」と「蛇にピアス」は内容的にも良いのだけれど、ルイ・ヴィトン(多分ハリポタも)は良くもないのに皆踊らされて買っている、ということらしい。別に著者がヴィトンが嫌いならそれはそれで良いのだけれど、こんな書き方では若者に説教する為に都合が良いからルイ・ヴィトンを担ぎ出したおっさん、という構図にしか見えない。昔、若者の長髪が嫌いな中年の男性が、長髪の若者が風邪をひいたときに「君はそんなに長髪だから風邪なんかひくんだ」と無茶な理論を展開していたのを聞いたことがあるのだが、それと似たような印象を受けた。

プログラマと無口

最近至極当然のことに気付いた。優秀なプログラマは無口だ。それも業務時間に限って言えば確実に無口だ。プログラミングに集中しているんだから当たり前だ。業務時間中になんやかんやと無駄話をくっちゃべってるってことは、それだけプログラミングに集中していないってことだろう。「無口=集中している」では決してないが、「無駄にしゃべっている=集中していない」は成り立つだろう。こんなに至極当然な事なのに、意外と気付いていない人間が多い気がする。先日http://d.hatena.ne.jp/rintaromasuda/20070601/1180649356というエントリを書いたが、「コミュニケーション能力を評価する」等と言い出す人間は、大体こういう基本的な事実を抑えていないのではないか。

ちなみにプログラミングしていないときに喋るか喋らないかはそれぞれと思われる。

ティム・オブライエン「世界のすべての七月」

世界のすべての七月

世界のすべての七月

訳者(村上春樹氏)のあとがきに「今の若い世代の人がこれを読んだらどのように感じるのか知りたい」という様なことが書いてあったのだが、正直言うと1969年という時代を知らない僕にとっては、この同窓会の空気、この同窓会に集まった人間の考えなど、どれもしっくりこないことばかりだったように思う。しっくりこなかったから小説が面白くなかったとか、面白かったとかそういう話ではないのだけれど、全体としてはあまり楽しめなかった。
ただ小説の技巧的には面白く感じたのだが、長編小説の様でもあり、短編小説の様でもありというつくりになっている。僕はそんなに読書経験があるほうではないが、こういった作りの小説は初めて読んだ様に思う。
さて、この同窓会のメンバーに対する1969年の様な年が我々にもあるのだろうか。可能性としては2001年かな、と思った。衝撃的な事件があったし、あの年に我々の世代は社会に飛び出したのだ。従って一番印象的な年となっている可能性は高いかもしれないとぼんやり思った。

はてなスター

なんやら星が消せないだかなんだかで騒ぎが起こっているようだけれども、とりあえず僕ははてブに変わる(多分)エントリ評価方法としてこれには賛成。手軽で良さそうだし、ちょっと前に梅田さんのチャットイベントで話していた「褒めよう」的な話がここに来て具体化してきたのかな、という印象を持った。

それにしても星が消せる消せないなんて、しばらく時間が経ってしまえばどうでも良いことだと思えてくると思いますけれど。それに消せないようにしてるってのは、何かそこに哲学がある訳で(技術的にはやろうと思えば一瞬だろう)。それを無視してユーザー無視とか言っているのはかなり違うと思う。ユーザーはあなた方だけではないし。

とりあえずこのエントリにスターを付けてみるテスト。

追記

あとこのスター機能って、どことなくトリビアの「へぇ」ボタンを思い起こさせる。なのでスターをクリックしたときに星が瞬くとか、そういうリアクションが欲しいと思う。