で、小学校英語どうするの?

で、小学校に英語教育を導入するべきなのか。結局のところ僕の結論は簡単かつずるいもので、それは「上手くやれるのだったら賛成だし、状況を悪化させてしまうようなら反対」というものである。結局はどんな方針でも運用次第だと思う。新しい学習指導要領によると「英語」ではなく「英会話」を教えるようなので*1、それを議論の前提にしたい。
まずであるが、子供の内から語学を教えることのメリットのひとつは発音やリズムや「とっさのひとこと」的なその言語の「感覚」を身につけ易いことである。これらは後天的に身に付けるのが難しいものである。そういう意味で、若いうちから「英会話」に触れさせるという方針は間違いではなさそうに思える。しかしながら、まずこの計画を実現する為には大量の外国人教師が必要ということになる。前述した通り、これは先天的に身に付いているものを教えるという時間であるので、日本人の教師には難しい。CD等の教材を使うという前提なのだろうけれど、CDは発音や言い回しを訂正してくれたりはしないし、反応してくれることもない。そんな状況でどこまで効果が出るのかは大いに疑問が残る。あと上述した能力は週に1回や2回英語に触れるくらいで身に付く様なものではないことも付記しておく。
では大量に外国人教師を雇うのはどうだろうか。おそらく止めておいた方が良いというのが僕の考え。これも上手く運用出来れば結局問題ないのだが、日本人の子供の扱い方を知らない外国人教師にどこまで効果が出せるのか。僕がこの方法で一番心配するのが、結局子供達に英語に対する羞恥心や恐怖心を植え付けてしまい、その後の学習意欲を削いでしまうんじゃないかということ。消極的な子供にとって*2、クラスメートの目の前で外国人教師と会話させられるなんて、正直地獄のような体験だろう。このような問題をどうクリアするのか。まさかマンツーマンとかそんな環境が作れるわけもない。
結論は冒頭で述べた通り「運用次第」なのだけれど、僕は「英会話」ではなく「英語」の勉強であれば別に小学校からの導入でも構わないと思う。現在は中学校1年から勉強する訳だが、それが2年早まったからって大した違いはないだろう。ただ個人的には中学校からで構わないと思っている。それで遅いなんてことはない。もし文部科学省に小学校の英語の時間について僕が提案するとしたら、それは「語学を勉強する事の意義を教える時間」としてみてはどうか、と提案してみたい。外国人とコミニュケーションをとるとどんないいことがあるのか、語学を勉強するとどのような素晴らしいことがあるのか、実際に語学を身につけた人々は社会でどのように活躍しているのか、外国では我々とどのように違う会話が交わされているのか、語学の勉強をしないとどんな風に人生が不利なのか等等、そういった意義を教える時間というのはどうだろう。意欲の増進の為の授業と言ってもいい。ある意味メタ授業かもしれない。教材はジョン万次郎の伝記とかそういうイメージ。

*1:実は中学1年からの英語を小学校5年からに繰り下げるのかと思っていた。

*2:外国人教師から見れば、日本人の子供のほとんどは消極的かもしれない。