二十代は模索のときブログ」カテゴリーアーカイブ

そろそろ米国の連続ドラマについて一言言っておくか

すっかり定着した感のある米国の連続ドラマなんだけど、そろそろ一言言っておきたくなった。24くらいから一気に人気が加速した感があるが、はっきり言ってほとんどどのドラマも先が気になる作りになっているばかりで中身がない。この「先が気になる」ということを演出する能力にかけては米国のテレビ会社は世界一なんじゃないかと思うが、結局米国のドラマが誇るべきは大抵それだけである。個人的にはもう一回見たいと思ったりであるとか、記憶に残っているシーンを思い出してにんまりだとかそういう経験をしたことはない。
最近はHEROESが話題のようですが、まずあらすじからして以前にやっていた4400と酷似している。普通の人々にある日特殊能力が備わって、その人達がともに集い、悪に立ち向かうというのが大まかなストーリーのようだ。別にパクったとかそういう事が問題とは思っていないが、ほぼ同じ様なあらすじでやっていたドラマが最近まであったのに、似た様なあらすじを持つHEROESがヒットしているというのは不思議に思える。

ある日突然何者かに連れ去られ、ある日突然光る球体と共に返された4400人の失踪者。「4400」と呼ばれるようになった彼らは、不思議な能力を備えており、社会に何らかの影響(作中では波及効果と呼ばれている)を少なからず与えていく。事件の謎を「4400」の1人が身内であるトムと相棒のダイアナの2人の捜査官を中心に描く。「4400」のそれぞれは、この60年の間様々な時代から連れ去られていったが、彼らは当時の年齢から一切の年を重ねておらず、また失踪中の記憶も一切保持していない。

4400 未知からの生還者 – Wikipedia

アメリカ、インド、東京。遠く離れたまったく別の土地で、ある現象が起こり始める。平凡な人々に突如として、特殊な能力が備わりはじめたのだ。空中飛行、肉体再生、未来予知、時空操作…。自分の能力に使命を感じる者もいれば、能力を恐れひた隠しにする者、自分の能力を悪用する者が現れる。そして、相手の能力を奪う殺人鬼「サイラー」、2008年11月8日に起こるニューヨークでの大爆発。それらを阻止しようと、まったく繋がりの無かった彼らが、集い始める。彼らを待ち受ける運命とは一体…。

HEROES (テレビドラマ) – Wikipedia

まあでもこのWikipediaのあらすじを読んだだけで「HEROES、ちょっと見てみようかな。どうなるんだろう」という気持ちを抱かせてしまうあたりは流石というか、人間が持っている本能、覗き穴があったら覗いてみたくなる本能に直接訴えかけてくる何かを持っている気がする。上述したように、そういうものを作り出す能力で米国のテレビ局とか映画会社は世界一なんじゃなかろうか。でも長く愛される味わい深い作品を作る力においてはかなり欠けている状況が続いていると言わざるをえない。ドラマは人気がなければすぐに打ち切られる可能性もあるし、製作サイドからすればとにかく初回からしばらく視聴者の興味を惹き付けておく作りにせざるを得ないという辛い事情もあるだろう。そのあたりは資本主義が抱える構造的な問題と捉えても良さそうだ。

戸田山和久「科学哲学の冒険」

科学哲学の冒険 サイエンスの目的と方法をさぐる (NHKブックス)

科学哲学の冒険 サイエンスの目的と方法をさぐる (NHKブックス)

こちらもあくまで「技術書」として購入した。なんの技術かというと、Computer Scienceを考える上での思考の技術である。結果的には素晴らしく面白い本であったし、特にソフトウェアのテストに関する深い知見を得たように思う。
さて「Computer Scienceを考える上で」なんて書いたけれど、本書を読み終わっての感想は「計算機科学は科学ではなく数学だ」というもの。例えば低層のハードウェアやメモリやCPUの作り方なんて話題は科学であろうけど、データ構造やアルゴリズムなどの層の話題を考えるとき、それは科学とは呼べないな、と思った。ポパーの主張するところの反証可能性もない。世界を理解する為の試みでもないし、なんというか離散数学の一分野なのだろう、その辺りの話題は。
しかしながら、ソフトウェアテストって科学実験とのアナロジーで考えることが出来るなという貴重なアイデアを得た。ソフトウェアが十分に複雑であれば*1、そのソフトウェアに対するテストは、まるでこの森羅万象の中である実験が仮説通りの結果を返すかどうかを確かめるのに似ている。複雑なソフトウェアは森羅万象ほどではないけれど、無限と近似出来る程の状態を持つわけで、あるテスト(実験)が本当に仮説通りの値を返すのか、それは帰納的に確かめていくしかない。どうだろう、どこか科学実験に似ていると思われないだろうか。
哲学系の本って初めて読んだけれど、かなり考えさせられることが多くて面白かった。内容は平易に書いてあるし、300ページ弱と薄めの本だけれど、読むのに結構な時間がかかってしまった。が、科学哲学の入門書としては非常に優れているんじゃないかと思います。少なくとも僕は多いに興味を持ちました。

*1:複雑だということはまったく喜ばしいことではないが、得てしてそうなる

開発者でも営業の視点は忘れるな

僕は開発者だから以下の二つのエントリの主張は分かる。RSSもソーシャルブックマークもヘビーユーザーだ。

フツーの人の気持ち・感情を理解するのは、ネットにどっぷりはまってる人ほど難しそう

今までならともかく、これからは「技術者が作るサービス」はますますエンドユーザーから遠く離れたものになるかもしれない。

そんな予感がする。

http://d.hatena.ne.jp/core/20080219/1203426866

これはよくわかる。というか、私もRSSリーダーやソーシャルブックマークを回りに勧めて、誰も使わないので???となっている口だ。

購読フィード数1000以下の人間を「フツー」と呼ぶのはもうやめよう – アンカテ

ただこれらのエントリを読んで、基本だけど開発者が忘れがちな事実を今一度確認したいと思った。それは
良いものだからといって、それが放っておいても売れるなんてことはない
という事実だ。
今までに効果的にRSSリーダーの営業をした企業がどこかにあっただろうか?マーケティングを行い、RSSリーダーの普及を試みた企業がいただろうか?おそらくないだろう。であれば、普及しないのは通常当たり前である。
あとid:essaさんが「回りに勧めて」と仰っているのが、それは実際にはどのように勧めたのだろうか。もし営業さんがRSSリーダーを売り込むのであれば、

  • 対象(勧められる人)の為にアカウントを作る手ほどきをしてあげて
  • 対象の趣味に合いそうなニュースサイトやブログを見つけてあげて
  • 実際に使い方を見せてあげて
  • 新聞よりもこっちの方が便利じゃないですか、と考えさせてあげて
  • しばらくアフターフォローしてあげて

とでもするだろう(これはBtoB的な営業手法だけれど)。この営業手法が正しいか分からないけれど、とにかく人というのは「こんないいものあるよ」で物が売れる(RSSリーダーは無料ですが)ほど甘い対象ではないのである。
iPod、ウォークマン、プリウス、プレステ、WillとかMacとか。技術的にとかデザイン的にとかそういった部分で優れているものは多いけれど、それが普及する為には営業というが媒体が間に入る必要があるのだ。Googleとかが勝手に広まっていったのはまあ例外だと思う。
技術とマーケティングが高いレベルで融合した事例は、例えば以下の本なんかで読む事が出来ます。

マツダはなぜ、よみがえったのか?

マツダはなぜ、よみがえったのか?

Googleが提供するシステムが安すぎるらしい

The New York TimesにIs Google’s Enterprise Software Too Cheap?という記事が出ている。GoogleのEnterprise Softwareが安すぎるのではないかという問題提起のようだ。
Googleが昨年買収したPostini社のメール関連のシステムの値段を9割引にしてしまったらしい。驚きの値引きだけど、どうやら記事では罪だって言っている。まあお客さんにとっては素晴らしいことだけど、Postiniのシステムを売ってるパートナー企業は辛いよね、と。こちらの記事では「Googleは我々からサポートする力を奪っている」というあるパートナー企業の発言も掲載されている。
僕が今勤めている企業はまさにエンタープライズ分野のソフトウェアを売っているので、競合としてのGoogleという視点でこの記事には脅威を覚える。「まだまだ先のこと」とか「我々には関係のないこと」と胡座をかかず、エンタープライズ分野の経営者は真剣に未来の方針を考えるべき。少なくとも自社の製品やサービスをいったんゼロベースで考え直して、Googleの強力なデータ処理能力を使うと置き換えられてしまうようなものがないかどうかを検討してみるべきだろう。
最後に余談になるが、新聞の記事にこういう見出しを付ける事って日本では少ないみたいだけどなぜだろう。こういうのって日本だと社説くらいにしか付かないみたいだけど。それが気になった。

今さらアルバイト経験から得たものを纏めてみる

そう言えば就職活動の時期だな、と思って何かそれ関係のエントリを書いてみたいと思ったのだが、就職活動でありがちだと思われるアルバイト経験から得たものというような内容を書いてみたいと思った。まあ結局就職活動をしている段階ではそんなの志望動機の単なる正当化だったりする訳だが、いまさら社会人の僕がアルバイト経験から得たものを振り返ることは、意外と就職活動中の学生に役立つかもしれないな、と微妙に先輩風を吹かせてみたいと思った。
さて、僕は大学生のほぼ四年間にワインを主とする店でウエイターをやっていたのだけれど、あの経験は何に活きているんだろう。明らかにボルドーワインとブルゴーニュワインの特徴の違いに関する知識だとか、トスカーナの赤ワインにはトマトソースパスタを合わせるのが定石だとか、青やら白やらのカビチーズを食べてみたいけれど、あんまりクセの強いのが嫌よという人には何チーズを薦めればいいのかとかそういった直接的な知識が現在役に立っているということはない。だが、こういった知識が何はともあれ会話や議論の源泉になるんだな、というか、議論や会話を進めていくときに、それに関連する知識が役に立つんだ、ということは何となくあの頃覚えた気がする。あと、知識がある種の信頼を生むというのもそうやって覚えたのかも。ワイン関連の知識がソフトウェア関連の知識に変わりはしたものの、今でも知識について同じ認識を持ってはいる。
あと、人が望んでいるであろうものを察知して、先回りして提供する喜び。あれはバイト時代に覚えたなあと今になって思う。例えば水を今まさに頼もうかってお客さんに水を提供したとき。そのときのお客さんの驚きと喜ぶ姿。あのときはひとつのゲームのようにそんなことを狙っていたけれど、例えばこれと同じことを同僚や上司にしてやろうって心掛けはなんかビジネス書にでも載ってそうな話題。それってなんか秘書っぽい仕事だねとイメージされたかもしれないが、例えば開発にしたって「こんなライブラリが欲しいけどな」→「そう言うと思って実装しておいたよ」みたいな仕事ってかなり評価の高いものになると思う。そんな楽しさもあの頃知ったのかもしれない。きっとそう思う。
あと僕は四年間近くもその店に居座っていたので、一店舗に必ず一人はいる社員みたいなアルバイトになっていた。だもんで結構指揮を執ることも多かった。そういう経験を経てリーダーシップを得ました、みたいな意見を言うのは容易いことだが、もう少し掘り下げてみると結局、人はアルバイトの様にしか扱わなければアルバイトくらいの働きしかしないし、アルバイト以上の扱いを心掛ければ期待以上に働いてくれる、ということを学んだ気がしている。これも形は違えど、いま僕が心掛けていることに非常に近い思想。自分が仕事を任される側としては、僕は店では相当信頼を受けていたので、それはバイトに任せちゃいけないでしょ、っていうよな仕事も結構やっていた。僕は喜んでそれをこなした。でもときにバイトだから立ち入れない仕事もあった。僕はそれに積極的に介入しようとは思わなかった。後輩に仕事を任せる場面でもそうだった。バイトだからとか新人だからとかそういう扱いをされている社員は結局ずっと受身のままの仕事態勢だった。丁度良い規模の責任を新人に与えてあげると、彼らは積極的にそれをこなそうとした。結果そういうバイトの責任範囲はどんどん広がっていった。まあ人ってそういうところあるじゃないですか。どうでしょう。
敢えてこのエントリに結論は出さない。誰かにとって何かしらの役に立つといいけど。

プログラマは腰を守る為に知恵を絞るべし

プログラマは座りっぱなしの職業だから、座る椅子に拘った方がいいのは勿論として、やっぱり腰を守る為に筋肉は鍛えることも考えておくべき。僕自身一度腰を痛めてしまったことの反省もあって、腰回りの筋肉、つまり腹筋とか背筋とか臀部とか太腿あたりの筋力は落とさないように日々意識している。あと座る姿勢、これも重要。どのように筋力を維持するか、どのような姿勢が腰に良いのかは日々模索中。その内ここに研究成果を書くかもしれない。
体が病んでは良い仕事は出来ず。日々これを忘れないようにしたい。

で、小学校英語どうするの?

で、小学校に英語教育を導入するべきなのか。結局のところ僕の結論は簡単かつずるいもので、それは「上手くやれるのだったら賛成だし、状況を悪化させてしまうようなら反対」というものである。結局はどんな方針でも運用次第だと思う。新しい学習指導要領によると「英語」ではなく「英会話」を教えるようなので*1、それを議論の前提にしたい。
まずであるが、子供の内から語学を教えることのメリットのひとつは発音やリズムや「とっさのひとこと」的なその言語の「感覚」を身につけ易いことである。これらは後天的に身に付けるのが難しいものである。そういう意味で、若いうちから「英会話」に触れさせるという方針は間違いではなさそうに思える。しかしながら、まずこの計画を実現する為には大量の外国人教師が必要ということになる。前述した通り、これは先天的に身に付いているものを教えるという時間であるので、日本人の教師には難しい。CD等の教材を使うという前提なのだろうけれど、CDは発音や言い回しを訂正してくれたりはしないし、反応してくれることもない。そんな状況でどこまで効果が出るのかは大いに疑問が残る。あと上述した能力は週に1回や2回英語に触れるくらいで身に付く様なものではないことも付記しておく。
では大量に外国人教師を雇うのはどうだろうか。おそらく止めておいた方が良いというのが僕の考え。これも上手く運用出来れば結局問題ないのだが、日本人の子供の扱い方を知らない外国人教師にどこまで効果が出せるのか。僕がこの方法で一番心配するのが、結局子供達に英語に対する羞恥心や恐怖心を植え付けてしまい、その後の学習意欲を削いでしまうんじゃないかということ。消極的な子供にとって*2、クラスメートの目の前で外国人教師と会話させられるなんて、正直地獄のような体験だろう。このような問題をどうクリアするのか。まさかマンツーマンとかそんな環境が作れるわけもない。
結論は冒頭で述べた通り「運用次第」なのだけれど、僕は「英会話」ではなく「英語」の勉強であれば別に小学校からの導入でも構わないと思う。現在は中学校1年から勉強する訳だが、それが2年早まったからって大した違いはないだろう。ただ個人的には中学校からで構わないと思っている。それで遅いなんてことはない。もし文部科学省に小学校の英語の時間について僕が提案するとしたら、それは「語学を勉強する事の意義を教える時間」としてみてはどうか、と提案してみたい。外国人とコミニュケーションをとるとどんないいことがあるのか、語学を勉強するとどのような素晴らしいことがあるのか、実際に語学を身につけた人々は社会でどのように活躍しているのか、外国では我々とどのように違う会話が交わされているのか、語学の勉強をしないとどんな風に人生が不利なのか等等、そういった意義を教える時間というのはどうだろう。意欲の増進の為の授業と言ってもいい。ある意味メタ授業かもしれない。教材はジョン万次郎の伝記とかそういうイメージ。

*1:実は中学1年からの英語を小学校5年からに繰り下げるのかと思っていた。

*2:外国人教師から見れば、日本人の子供のほとんどは消極的かもしれない。

僕の英字新聞の読み方

英語の勉強の為、The Japan Timesという英字新聞を購読している。本当はThe New York Timesが読みたいと思っているのだけど、紙媒体で手に入りにくい。紙媒体ではDairy Yomiuriも読んでみたのだが、何となく日本の記事を英訳したような文章が多いと感じたので、The Japan Timesに落ち着いた。
以下に僕がどのように英字新聞を読んでいるのかを晒してみる。まあ大したことはしていないんですけど、勿論。

  • 平日しか読まない
  • 電車内の30〜40分間で読む
  • 一面から興味の出そうな記事を探す。その際AP通信やReuters等から配信された記事を優先する
  • 全面をざっと見て、IT系の記事があったら優先して読む(GoogleとかYahoo!とかMicrosoftとかそういう単語を探す)
  • 電子辞書は持ち歩いているが、電車の中での使用は困難。よって分からない単語は飛ばす
  • 職場に着いてもまだ分からない単語を覚えているようだったら調べる
  • DILBERTは何があっても読む。笑いは堪える
  • 結果日本の社会事情に疎くなっても我慢する
  • 帰りの電車でも思い出したようにパラパラと見ることもある
  • 新聞に夢中になるあまり周りの人の迷惑にならないように気をつける
  • The Japan Timesをとると朝日新聞も定期的に薦められるが、丁重にお断りする

このペースで新聞を読むと、僕の場合だと毎日2〜4記事程度しか読めないが、他にも読みたいものがあるので新聞に関してはこれでOKだと思っている。海外から配信される記事を優先的に読んでいると、今まで自分がまったく知らなかった分野の知識も付いたりして一石二鳥。IT系の記事は自分が生きる世界なので、情報を得る為にも、関連語彙を増やす為にも読むのは重要。あとはDILBERTも重要。絶対重要。

Googleと共和党が組んだらしい

Jeremy Zawodnyのブログで知ったが、どうも共和党とGoogleが組むらしい。正確に言うと、共和党のOfficial Innovation ProviderとしてGoogleが協力する、とのこと。共和党のHPに公式の声明文が出ている。

As Official Innovation Provider, Google Inc. will enhance the GOP’s online presence with new applications, search tools, and interactive video. In addition, Google will help generate buzz and excitement in advance of the convention through its proven online marketing techniques.

http://www.gopconvention2008.com/news/Read.aspx?ID=511

共和党のオンライン上での存在感を強める為にnew applicationsやsearch toolsやinteractive videoを使いますよ、とのことだが、具体的にはYoutubeの事なのだろうか。よく分からないが、Youtubeに映像を上げるだけなら勿論誰でも出来る訳だし、そこに何かしらの仕組みが組み込まれるのだろうか。あとonline marketing techniquesを使ってbuzzやexcitementを作り出すとのことだが、これはJeremy Zowandnyが言うようにAdsenceやAdwordsのことなのだろうか。共和党からのメッセージが検索結果の横に出たりするのだろうか。
丁寧に以下のような映像まで作成されているので、こちらも紹介。

しかしWall Street Journalでも取り上げられているように「じゃあ今後共和党はGoogleを贔屓するの?」とか「じゃあ民主党はMicrosoftと組むの?」とか色々と話題になりそうな一件であることは確か。
しかしZeremyの以下の一文には思わず笑ってしまった。政治とテクノロジーの融合(WSJでは結婚と言っている)と呼ばれそうな今回のタッグだけど、どうもその二つは自然と溶け合わないものなんじゃないかと思わせる一文だと感じた。

Either way, a dumb thing like this is an excellent way to lose credibility in my mind. I’m surprised they didn’t also announce HTML as their official markup language and HTTP as the site’s preferred protocol.

Republicans Kiss Google’s Ass… (by Jeremy Zawodny)

新しい学習指導要領

文科省は学習指導要領を改訂し、小学校五年六年から英語を必修化することを決めた。
愚かなことである。

小学生に英語を必修させる必要があるのか? – 内田樹の研究室

内田先生の言っている事はよく分かる。英語で議論するとして、英語が一番上手い人間の意見に場が引っ張られる傾向が出るのは当然だろう。そしてそんな議論から有益な結論は生まれないだろう。
とまあその話の是非は置いておき、せっかくなので新しい学習指導要領を見てみよう。こちらでPDFファイルが取得可能です。
第4章の外国語活動の「目標」には以下のように書いてある。

外国語を通じて,言語や文化について体験的に理解を深め,積極的にコミュニ ケーションを図ろうとする態度の育成を図り,外国語の音声や基本的な表現に慣れ親しませながら,コミュニケーション能力の素地を養う。

うーむ、これを読む限りでは「英語」の勉強というよりは「英会話」をさせてみようという意図に見えます。それはあまり賛成出来ない気がする。だって教えられる人の数が足りないだろう。母親とか実は小学校の教諭だったりするんだけど、英会話を母親が教えるというのは無理がある、多分(違ったら母ちゃんごめん)。
以下が「内容」。やっぱり英会話だ。他の国の文化や習慣や行事などを教えることは賛成だけど、それは普通に日本語で「社会」とかの時間に教えてもいい気がする。だけど自国の文化もまだあまり感じていない小学校高学年の子供達がどこまで感じてくれるか…。あと「異なる文化をもつ人々…」のくだりから外国人講師を招くんじゃないかと推測する。

1 外国語を用いて積極的にコミュニケーションを図ることができるよう,次の事項について指導する。
(1) 外国語を用いてコミュニケーションを図る楽しさを体験すること。
(2) 積極的に外国語を聞いたり,話したりすること。
(3) 言語を用いてコミュニケーションを図ることの大切さを知ること。

2 日本と外国の言語や文化について,体験的に理解を深めることができるよう,次の事項について指導する。
(1) 外国語の音声やリズムなどに慣れ親しむとともに,日本語との違いを知り,言葉の面白さや豊かさに気付くこと。
(2) 日本と外国との生活,習慣,行事などの違いを知り,多様なものの見方や考え方があることに気付くこと。
(3) 異なる文化をもつ人々との交流等を体験し,文化等に対する理解を深めること。

う〜ん、続きはまた別のエントリで。