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三十歳。国境のないインターネット。そしてグローバルに生きようという決意

このブログのタイトルをどのように決めたのかはもう思い出せないが、「二十代は〜」と冠したからには三十歳になったときにはどうにかしないといけないだろうと漠然と考えていた。この二ヶ月ほどまったくエントリを書いていなかったのにはいくつか理由があったのだが、二十代の終わりが近づいているなか、三十歳になってからこのブログをどうするか、さらに言えばインターネットをどのように自分の生活に組み込んでいくべきかを色々考えていた、というのがひとつの理由だ。まあ正直に言うとiPhoneでWEBを視るようになったので、ブログに書き込むのが億劫になっていたという理由もある。
で、本日三十歳になった。出した結論は「やっぱり僕はグローバルに生きたい」というものだ。だから基本的には日本で、もとい「日本語で」ブログ活動をするのは今後止めにしたいと思う。インターネットには国境はなく、いますぐにでもグローバルな活動を始めたいと思えば始められるはずだ。そう分かっていながらも今まで中々実践できていなかったが、今日から少しずつ実践していきたいと思う。そのため、どこかに英語のブログを立ち上げることとしたい。英語の記事やエントリをもっと読んで、このブログでやってきたようにそれらに対してトラックバックやコメントを返したり、言及したりしてみようと思う。つまりはまた、最初からやり直しだ。
これまで少なからずリンクをして頂いたり、ブックマークをして頂いたりしているので、このブログはそのままにしておきたいと思っている。二年以上続けてきたが、間違いなくブログを書く事によって色々な刺激を受けたし、成長していけたと思う。今後もし、僕が誰かに何かを伝えることの出来るいっぱしの人間になって、それを日本語で誰かに伝えたいと思う日が来たら、そのときはまた日本語で何かを書いてみるかもしれない。
こんなこと書いておいて、またすぐに日本語でブログを再開したらかなりカッコ悪いということは覚悟しつつも、これをもって最後のエントリとしたい。今まで色々なフィードバックを返してくれた方々、読んで下さっていた方々、ありがとうございました。またどこかでお会いしましょう。

P.S1
なんか絶妙なタイミングで、水村美苗「日本語が亡びるとき」は、すべての日本人がいま読むべき本だと思う。 – My Life Between Silicon Valley and Japanなんていう記事がid:umedamochioさんからアップされている。うーん、これに影響されたわけではないですからね。でもこの本読んだら影響されそうだ(笑)

P.S2
このブログの最初のエントリ最後のエントリが似た様なことを書いてるのは面白いな、と我ながら思ってしまった。

やっぱり本を読もうと決めた

技術の勉強に当てる時間を増やす事を目的として、「今年は読書しないんだ」とこのエントリで誓ってから半年以上過ぎたが、やっぱり本を読もうと決めた。どうにも自分の人生にとって読書というのは避けられない程に大切なものとなってきている。読む本の選択には慎重を期したいと思っているけれど、どんな本が自分の血となり骨となるか、そんなことは誰にも分からないので、大胆にいつも読まない様な路線の本を選ぶ事も忘れないようにしたい。

Wの選択で悩み過ぎるようだったらHを考えろ

「どの会社に就職しよう」
「どこに住もう」
「どの人と付き合おう」
「どちらの道を選択しよう」

人間は往々にしてWhat、When、Where、Who、Whichの選択で悩んでしまうものである。ただ悩んでいるということは、選択肢はどれも似たり寄ったりということである。似たり寄ったりというよりは「あちらを立てればこちらが立たず」という場合がほとんどだろう。「やりがいがあるけど給料が低い仕事」と「給料が高いけれど、地味できつい仕事」とかそういう選択。ここで「やりがいもサイコー、給料も高いしきつくはない」なんて選択肢があれば皆それを選ぶだろうけれど、結局そう上手くはいかない。
僕はこういう選択の岐路に立ったときに迷わない。大抵どんな事でも決断することができる。でもその秘訣は何かっていったら、はっきり言って決断自体はもうどうでも良く、選択の段階から「どれを選ぶかではなくて、選んだ後にどうするかだ」ということばかり考えているから即決できるのである。つまり頭がすぐにHowに行ってしまうので迷うことがない。何かそういう性格みたい。
選択はもちろん大事。だけれども選択自体に大きなコストをかけてしまうのは本末転倒。選択肢のどれもが一長一短だと感じるレベルまで絞れたのであれば、あとは「どれを選ぶのか」でなく、とりあえず選択してしまって「どうやって自分の選択肢が正しかったと思えるようにしていくか」が大事だと思う。

「頑張れ」という無責任で曖昧で素晴らしい言葉

ここ二日間に僕の回りでたくさんの「頑張れ」と「ありがとう」があった。

僕が送った「頑張れ」と「ありがとう」もあったし、僕が送られたものもあった。僕と直接の関係はないものの、僕にとって大きな意味を持つ「頑張れ」と「ありがとう」もあった。

「頑張れ」なんて言葉に具体的な意味はない。具体的な意味のない、極めて無責任な言葉だ。この言葉を送った方だけが一方的に満足して、送られた方にとってはプレッシャーになりかねない危険な言葉だ。

だけど、この言葉に込められる意味は何よりも大きい。具体的なプランや安心なレールの提供よりも、とても暖かく、旅立つ者に、挑戦する者にこれほど相応しい言葉はない。

「頑張れ」

ここ二日間でこの言葉を送った人達に、僕より若い人達に、この言葉を今一度送りたい。この言葉を重圧のように捉える必要なんてない。ときに休息をとることだって、「頑張る」うちに含まれる立派な行動のひとつだって忘れないでほしい。

「ありがとう」

僕に「頑張れ」を送ってくれた方、僕に「頑張れ」を送らせてくれた方全てにこの言葉をもう一度送りたい。

あなたがしていた事の中で、あなたは大した事をしていないと思っていても、僕にとっては大きな意味を持つ事だということはたくさんあった。

それは他の全ての人にとって意味のある事ではなかったかもしれない。

僕が勝手にひとりで感謝しているに過ぎないかもしれない。

ただ、これは事実。あなたがしてくれた事は、僕という人間の中では少なくとも大きな意味を持っています。

「ありがとう」

あなたが気付いていないその事に感謝の言葉をお送りします。

「頑張れ」

これからも何とかやっていけるように、あなたにも僕にもこの言葉を贈らせて頂きます。

また何処かで会えるといいね。

Amazon.comで購入したものは日本まで発送してもらえる

米国のAmazon.comで買った本を日本まで発送してもらえるという驚愕の事実を今朝知った。早速試してみたらなんなく注文できた。書籍が到着するのを楽しみにしている。Market Placeで販売されている本は必ずしも国外発送できないだろうが、少なくともAmazonそのものが売っている本であれば大丈夫のようだ。これで洋書がぐっと買いやすくなり、非常に嬉しい。
当然Shipping Feeがかかってくるのだけど、今回は$120くらいの買い物をして、Feeが$20くらいだった。これだと10日弱くらい到着までにかかるようだが、日本のAmazonで洋書を買おうとすると、

  • 在庫がない(発送まで3〜5週間とか書いてある)
  • 割高
  • レビューが無い。または和訳版のレビューとごっちゃになっている

という状況がほとんどなので、これからは洋書はAmazon.comで買うことを基本にする。とは言ってもFeeは馬鹿にならないので、なるべく買いたい本は躊躇しないでまとめて買ってしまうことにすればいいだろう。国外発送にもいくつかオプションがあって、一番高いやつだと$40くらいFeeがかかってくるけど、2〜4日くらいで到着するような事が書いてあった。まあそんなに急ぐことは僕にはないだろうけど。

コーヒーチェーン店雑感

先日GIGAZINEでマクドナルドのコーヒーが人気だという趣旨のエントリがあったが、元記事を見てみると勝負の決めてはやはり100円*1という値段の様子。先日噂を聞きつけて早速飲んでみたけれど、一昔前よりも味がかなり改善されており、「これでワンコインなら」と納得。忙しい早朝にはワンコインで買える手軽さというのもかなり重要。持ち歩く人にはカッコ良くなったカップも嬉しい。
逆に最近久しぶりに入ったけれど、善くも悪くも味や店内の雰囲気が昔のままだったのがカフェ・ベローチェ。喫煙が可能な店舗は愛煙家にとっては憩いの場として貴重かもしれないが、正直いまの職場の近くにある店舗ではレジで持ち帰り用のコーヒーを買っているわずかの間でも目眩がしてくるほどモクモクしていた。コーヒーの味もいまいちと感じたし、隣にマクドナルドがあれば必ずそちらで買ってしまうだろうと思う。ベローチェは覆面調査ランキングで最下位に選ばれてしまったようだが、外資に対抗する国内コーヒーチェーンのひとつとして、是非コーヒーや店舗の改善に取り組んでもらいたいと思う。いちコーヒー好きとして。
ちなみにチェーンと言う程の店舗数がないのだが、僕のお勧めはAUX BACCHANALESというカフェ・レストランのコーヒー。ここも値段は易く、Lサイズがスタバでいうトールくらい*2で210円で売っているのだが、味が素晴らしい。冷めてもあまり味が落ちない不思議なコーヒーは、毎朝の一杯に非常に適している。お近くに店舗がある方は是非お試しあれ。

*1:Mサイズなら200円です。

*2:もしくはそれより少し大きいかもしれない。

他人の感覚と自分の感覚を比較することが不可能だという当たり前の話

「私って人見知りなんだよね」
「俺って友好関係狭いから」
「わたくしは人よりも人生経験豊富なので」
「わし程これが嫌いな人間はいない」
「私って人より朝弱いじゃないですか〜」

他人にはなれない。それは他人の感覚を味わう事が出来ないことを意味する。自分が感じる感覚は分かる。でも他人のは分からない。つまり比べることが出来ない。自分が感じているものを絶対的に判断することは出来る。でも相対的に判断することはできない。それは人間が背負う自然の摂理であり、感じる事が出来る、というのは自分というものの定義そのものであろう。
上記の様な台詞をついつい口にしてしまうことは多い。そしてそれが何かをしないことの言い訳になることが多い。でも本当にそうなのだろうか。上述したように他人と自分は比べられない。つまり他の人だって同じように感じているのではないだろうか。客観的に見て「あいつは絶対に違う」と思えるような人だって、表面的にはそう見せているだけかもしれない。それはあなたには判断出来ない。自分は自分しか判断出来ない。だから他人の感覚を勝手に過小(過大)評価して、それを自分の言い訳にしてはならない。僕の知っている限り、ほとんどの人は自分を人見知りだと思っている。でも誰だって、初対面の相手とは身構えるものなのだ。

正月三ヶ日早々に学んだ事

元旦に食べた物のせいなのか何が原因なのかは分からなかったけれど、ウイルス性の胃腸炎と思われる症状に見舞われ、元旦の深夜から三日の朝くらいまでかなり苦しんでいた。高熱、嘔吐、下痢でもう大変。今年は気合い入れて勉強しようなんて意気込んでいたけれど、やはり体は資本。健全な精神は健全な〜じゃないけれど、もうそれは基本ですね、はい。精神は肉体というハードウェアの上で動くOSです。そっちがしっかりしてないと何も出来ません。あと計画なんてものは外的要因であっさりと変更を余儀なくされるものだということも再認識。周到に用意された計画、綿密に組まれたスケジュール、あらかじめ想定されたリスクへのコンティンジェンシープラン(この用語知ってる人ってどれくらいいるのだろう…。勤め先の専門用語かも。まあ代替案ということですね)、いずれも聞こえは言いけれど、まあ予期出来るレベルの物事に備えているってだけの話であって、突然ウイルスが猛威を振るったとかそういう話の前にはなす術ないんですよね、やっぱり。
という訳で、何はなくともうがいと手洗いだけは欠かすまいと決めた2008年初頭だった。

さて、何をやめようか

以下の名エントリが2005年末だったいうのに驚いた。だってまだ凄く記憶に新しかったから。

さあ来年は何を始めようか。そう考えるのではなく「何をやめるか」を先に決めよう。それも自分にとってかなり重要な何かを「やめること」。

それが「来年の抱負」「今年の抱負」を真に意味のあるものにするための最重要ポイントだと思う。新しく始める「何か」を決めるだけでは、できない場合がほとんどだ。

「やめること」を先に考えよう – My Life Between Silicon Valley and Japan

タイトルで「さて」なんて書いたけれど、実はもう決まっている。
今年は読書をしない
と決めている。具体的に言うと、今まで娯楽の読書に使っていた時間は全て技術の勉強の為に回す。つまり技術の為の読書はする。僕の場合は技術の為の読書は娯楽にもなっているのだけど、純粋に小説とか、書店で気になった新書とか、文庫とかそういうのは読まない。読んでも月一冊程度にする。そう決めてみた。こういう何と言うか「偏り方」はある意味での成長の為には良くないとは思っているだけど、今年は何としても技術者としての飛躍の年にしたい。技術者として「技術」を飛躍させる年にしたい。その為に読書の時間を切り捨ててみよう、というのが今年の計画だ。実は年末に買って読んでない本が何冊かあったりするのだけど、それらはその「たまの月一冊」の読書に回す。もしかしたら来年読むことになるかもしれないけれど、まあそれでも問題ないだろう。
こんなこと書いていても、もう何ヶ月もしない内に「やっぱり読書をしないと人間としての深みが…」なんて不安になりだすのが僕の陥りそうなパターンだけれど、まあそれが今のうちから分かっているのであればコントロールも出来るだろう。という訳で本ブログの「読書記録」カテゴリは2008年度は激減する予定です。あまりいないかと思いますが、それをもし楽しみに読んで下さっている方がいらっしゃたら申し訳ありません。
今年も良い年にしましょう。